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月刊『Hanada』2024年7月号②

コメントありがとうございました^^

 西村賢太の没後すぐにお電話した、朝日書林の荒川さんやお寺さんとは別に、一周忌が過ぎてから、西村賢太と生前お付き合いのあった方々に声を掛けさせていただいて、「会われた時、どんなでしたか?」とお聞きすることを始めた。
 そうでもしていないと、やっていられなかった。

 作家の方、編集者の方などにメールやお手紙をを送らせていただくと、お返事を下さる方もいればそうでない方もいらっしゃったが、その後、お電話でお話をしてくだすった方も数人あったし、けんけんらしすぎるエピソードをいただけることもあって、とても嬉しかった。
 皆さま、ありがとうございました。

 村西とおる監督もそのうちのお一人で、10人目だった。

 西村賢太は生前、2015年12月11日と2018年10月12日の二度、監督のトークショーに呼んでもらっている。
 『日乗』でも、その日の箇所に村西監督のナイスなキャラについて書いているし、何より私はけんけん本人から「スゲエよな、借金、○○億だってよ」と直接聞いている。2018年の、トークショーのために帰京する日のことだったと思う。

 なので、例に倣って厚かましい田舎者根性を発揮してメールをさせていただいたところ、お返事どころかお電話をくださり、何故か西村賢太とのエピソードについて聞かせてはいただけなかったものの(男性にはあまりご興味がないのかな?と思いましたw)、大変親身になってお話をしてくだすったので、お礼の意味も込めて「こんなのを書いている者です」との自己紹介も兼ねてnote記事をいくつかお送りしたところ、月刊『Hanada』の花田編集長にお話ししてくだすったのだ。

 これはまた大層なことになってしまったと思ったが、勿論有難い、嬉しいことだったし、頭の中には西村賢太がときどき書いていたフレーズ、「流されてゆくより仕方ない」が、あった。

 そして言われるがままに原稿用紙30枚(後に4枚も加筆。ご迷惑をおかけしました)を書いたら、月刊『Hanada』へ持ち込んでくだすったというわけである。

 そしてまた花田編集長ご自身が西村賢太の読者でいらっしゃって、『日乗』もずっとお読みだったとのことで、トントン拍子であった。

 そうだ。今、「トントン」で思い出したが、「トン太郎」というラーメン屋さんがあって、車でその前を通るたびに毎回、けんけんは「ぶた太郎じゃないよ、トン太郎だよ!」と声を張り上げていた。
 深夜のTVCMを気に入ってしまって、毎回必ず真似をするのだ。実際にこのCM(↓)を一緒にみたように思うが、私が子供の頃学校で流行っていて男子が盛んに真似していたという話も絶対したはずなので、もしかするとそのせいかもしれないが、そこはちょっともう、定かではない。
 それから確か「東京にぶた野郎ラーメンってあんだよな」と言って笑っていた。

 話が随分逸れてしまった。
 月刊『Hanada』の記事には村西監督へのお礼も書いたのだが、監督のご意向やら誌面の関係?やらで削ることになってしまったようなので、冒頭のコメントに頂いた通りYouTubeで花田編集長自ら触れてくだすったことは、有難かった。 

 ニコニコ動画へ移る直前でご紹介くだすっている(33:15あたりから)。 

 そして、別の動画でではあるが、花田編集長は私の手記について「こういうのは、本来、文芸誌がしなきゃいけなかったんだけど・・・」とおっしゃっている。

 こちら(↓)の動画でだったと思ったが、記憶違いだったかもしれない。しかし西村賢太には触れてくださっている(1:05:00あたり以降)。

 私は文芸誌に頼まれて、葛山久子さんのように手記を発表したいとも、朝日書林の荒川さんのようにインタビューをされたいとも思ってはいなかった。ここ(note)でできることなのでそれで十分だったからである。
 もし載っけてほしかったら、こんな厚かましい性格なのだ、採用される、されないはさておき、とっくのとうに自分から売り込んでいる(多分採用されていないと思うが)。

 ただし面倒なのは、noteに書くことは誰に言われた訳でなく自発的なものであるからして、それは当然「承認欲求の塊」「小銭稼ぎ」云々などと言われて鬱陶しいことである。しかし、まあ、これは仕方のない、想定内のことではあるし、そもそも私が見なければよいのだし、だいたい、はなから相手にするまでもないことである。
 
 当初は悲しみを癒す自己セラピー的に書いていた個人的な側面もあるが、後世に残る作家についての書き遺しには、きっと価値があると信じているからだ。
 また実際、そういう本は多い。ありふれていると言ってよいほどだ。
 なにも私がとりたてて特別なことをしているわけでもなかろう。

 ここ(note)の記事を読んで声をかけてくださったコアな西村ファンの方や、こういう本がありますよ、参考にしてみては?などと有名作家への追憶記、追悼本を紹介してくだすった方もあった。本当に有難いことである。 
 
 では、どうして文芸誌がそうしてこなかったのか、つまり私に何も依頼してこなかったのか、ということなのだが、それは私が新聞記者の葛山さんのようなプロの書き手ではないド素人だからでもあるのだろうが、それなら朝日書林の荒川さんのようにインタビューでもよかったものを、それもなかった。

 それどころか四十九日や一周忌などの法要、ホテルでのお別れ会にもお声がかからなかった。
 
 自業自得と云い条、理由は別の記事で…😅

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