月刊『Hanada』2025年2月号
【始めに】
雑誌の記事の読む読まないを決めるのに、他人にお伺いを立てたり周りの顔色を窺ったりするなどということは、西村賢太の最も嫌うところでしたから、西村ファンであればこれは尚更、読みたければ読む、さもなくば読まない、でよろしいかと存じます。
書けばファンが買うだろう、との皮算用で書いている訳ではございません。かような了見では、端から西村賢太と付き合えてなどおりませんし、そんな面汚しをしてこれ以上、自己嫌悪するのはゴメンです。
書いた者と致しましては、再びお声掛け下すったHanada誌に大変感謝しておりますので、読んでいただければ大変嬉しく存じます、と、それだけのことでございます。
素人っぷりを嗤われるか知れませんが、実際、西村賢太ファン以外の何者でもございません。
さて、前回(2024年7月号)「私のなかの西村賢太」をお読みくださった皆様、ありがとうございました。
お陰様で、再びお鉢が回ってまいりました。
こちらもお読みいただけましたら、本当に有難いです。
なかでも西村ファンの方におかれましては、西村賢太がどうしたこうした、ああ言ったこう言った、との事実のみをお知りになりたい一心で、私などの駄文でも読んでくださるのでしょうが、しかし、今回はどうも私の「お気持ち」の占める割合が高うございまして、書きながら私自身「お前の御託なんぞ」とウンザリもしたほどですが、、、何と言うか、書いてやりたかったものですから、、、どうぞご容赦ください。
今回も、タイトルや小見出しの文言は全て、雑誌作りのプロにお任せ致しまして、私の付けていたタイトルは、本文中でヒッソリと息をしているのみです。
センスがないのでしょう、きっと😭
Hanada誌に載せて頂くことになったのは、本当に偶然の流れですが、数多ある雑誌の編集長としては唯一奇跡的に、あくまでメディアを介してにすぎないとは云え、お人柄を存じ上げてきた方、一方的に親しみを感じていた方という点においても、また花田編集長ご自身が初期からの読者で、『日乗』もずっと読まれていたそうですし(「本の雑誌」ででしょうかね…)、何とも言えずしっくりくるような気がしております。
ところで、あの赤字に白抜きのタイトルデザインの由来につきましては、下の「③『本の雑誌』2016年7月号への寄稿」をご参照ください(↓↓↓)。
私は実は、2012年に西村賢太を知るよりもっと前、確実に2006年か2007年のどちらかから時折、花田編集長の記事やコラムをネットでですが読んできていて、最近はYouTubeも見ていました。
☝☝☝ヨイショみたいですが本当です。それなのにいつまで経っても「紀凱」が読めるようにならないのも、、、本当です。
☝☝☝冒頭の、同期会に対するボヤきが妙に味わい深い(失礼💦)昭和17年生まれ(藤澤清造の亡くなった10年後のお生まれ)。
そもそも私は、西村賢太を知るまで文芸誌ってものを知らなかった、手にしたのだって「拙作の掲載誌です」などと送られてきたところの多分『文學界』が初めてだったというような、文学音痴です。
西村賢太自身は、1㎜もイデオロギー頼みの作家ではありませんでしたし、大好きだった石原慎太郎のことを除けば、「トランプすげぇな」ぐらいは言っていましたが、政治絡みのことを話す人ではありませんでした(花澤哲文氏の『西村賢太とは誰か』にも、同様の記載あり)。
ですから西村ファンであるなら尚更、その辺りのことはあまりお気になさらず、「ちょっと右寄り」の月刊『Hanada』をお手にとっていただければ幸いに存じます🙇🏻♂️
何年も前に別れた男の暴露話で小銭をかぞえやがって💢と仰る方には、これは本当にもう、相済みませんと申し上げる他、ございません🙇🏻♂️💦