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【金管バンド】金管バンドとの出会いから今まで⑥

おはようございます。音楽家、チューバ奏者、指揮者、金管バンドディレクターの河野一之です。

このnote執筆が楽しすぎて長時間PCの前におり、腰をやった河野です。ヨボヨボしています。

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前回に引き続き自分の金管バンド歴をアウトプットしてみます。前回のものはこちらからご覧ください。

人生初のヨーロピアン

3月のエリア(全英大会の地区予選)を終え、4月になるとヨーロピアン(欧州選手権=European Brass Band Championships)の季節に入ります。

2012年はオランダのロッテルダム開催、そしてコーリーからの連絡はウェールズから「バスで行くよ!」ということで片道12時間コースが決定しました。

さて当時のコーリーでは以下のようなスケジュールでコンテストへの準備が進められていました。

大体コンテストの1ヶ月前ぐらいから準備開始
(
その前に楽譜だけは配られていることが多いです。)

コンテスト1週間前の週末にセクショナル(指揮者と各セクションだけで2時間ずつリハをする。例えば我々ベースならベース奏者4人とボブのみの5人で行う)

最後の1週間は毎晩リハが入り、さらにそのどこかでオープンリハーサルを行う。(公開式のリハ)

河野の印象ですが、当時のボブのリハでとても勉強になったのは、コンテストの2週間前の週まではバンドの出来を120%ぐらいまで持っていき(表現やさまざまなものをより大袈裟に作る)、最後の1週間で120%のものを100%にギュッと圧縮するようなリハでした。それゆえに一般の方からしたら人間離れしたような演奏がさも当たり前かのように出るわけです。

これができない奏者はコンテスト後に席はないので、必然的に弱肉強食、コーリーという環境に適応できない奏者は他のバンドに行くか、下位セクションに行くこととなります。100年以上続くバンドの栄光を守るため、またみんな上手くなりたいですし、コーリーや他チャンピオンセクションの席なんて多くの方が狙っているからです。

というわけで、ヨーロピアン!片道11時間ということでまずはウェールズからドーヴァー(Dover)へ向かいます。(その昔うっちゃんなんちゃんの炎のチャレンジャー?の企画で泳いで横断されていたあのドーヴァー海峡です。)

そしてそこからコーチ(長距離バス)ごとフェリーに乗り込み、フランスのカレイスへ向かいます。

こんな感じ

カレイスに着き、当時まだEUに残留していたイギリス人たちは専用ゲートで一瞬。河野は日本人なので「Others」と書かれたゲートから審査を受けて入国、そしてまた長い長いコーチ移動です。

3時間17分なんて全然嘘です。

生まれて初めて片道12時間を体感した感想としては当たり前ですがキツイ

いくら寝られる河野でも、何度寝ても同じような高速道路の景色、でもフランスに入ると車線が右側通行となるので「違うなー」ぐらいしか楽しみはありません。(イギリスは日本と同じ左通行)

よく盗撮されていました笑

フランス→ベルギー→オランダと移動しますが、観光地を巡るわけでもなく寄るところといえばサービスエリアのみ、ひたすらロッテルダムへ進みます。

ヨーロピアン選手権2012

ようやく、、、、ようやくオランダのロッテルダムに到着し、ホテルへ。コーリーに入っていて良かったことはもちろんたくさんありますが、その中の一つに「英国国外への脱出が多い」というのがあります。

まず最初に書いておきますが、河野はイギリスが好きです。ですが、ビールは最高なのですが食事はやはり他欧州の方がうまいわけで、さらにコーリーでの国外遠征では良いホテルを用意してもらっていることも多いので、そこでの食事なども最高なわけです。ここロッテルダムの朝食も最高でした!(三つ星ホテルだったと思います。)

そして人生初のヨーロピアン、リハーサルを済ませ、いざ本番です。

しかし、ここからの話を書く前に今回のヨーロピアンは河野にとっては人生初、そしてコーリーにとっては偉大な指揮者の千秋楽となりました。というのもこのヨーロピアンシーズンに入る直前、12年もの間コーリーの指揮をされてきたボブことロバート・チャイルズ博士がコーリーの指揮を退任することを明言。このニュースに英国金管バンド業界では大きなどよめきがおきます。

ボブはコーリーの指揮者に就任した最初のブリティッシュ・オープン(2000年)、さらにナショナルでダブル優勝。コーリーを世界ランキング一位に君臨させ続け、ヨーロピアン三連覇という偉業も成し遂げました。さらにブラス・イン・コンサート(エンタメ系英国最大級のコンテスト)+世界音楽コンテスト(The World Music Contest)優勝と、主要コンテストを総なめにした指揮者の引退ということで世間は大波乱。そして起きたのは「次の指揮者は誰なのか」というニュースでした。

大騒ぎする業界。しかし、当時バンド内ではそれよりも「今!」ヨーロピアンでどんな演奏をするかにフォーカスをしようとしていました。少なくとも僕はそうでした。

ゴシップ好きのイギリス人たち、そんな様々な憶測が流れる中挑んだ初ヨーロピアン、とにかく規模も大きくて激アツでした。

ヨーロピアン選手権ということでヨーロッパ中から選出された素晴らしいバンドたちの競い合いはもとより、ユース部門や作曲コンテストにソロコンテストと本当に金管バンドやそれにまつわるさまざまなイベントが約1週間かけて行われる大規模なイベントでホール周辺も含めお祭り騒ぎでとても良い雰囲気です。河野がお勧めするコンテストの中でもトップに入ります。(国にもよりますが)

この年の課題曲はVita Aeterna Variations (Variations & Fugue on an Original Theme) / Alexander Comitas、Bb Bassが曲の冒頭高いファ(Eb in concert)から始まる作品で、のちに改訂されたことによってより演奏されやすい版がでました。

もうこの時在籍していた奏者の半数以上が移籍したり、金管バンド業界をさったり、天国にいらっしゃる方もいますが、とにかく激アツでした。

2nd Euphには1st EuphのDaveが去った後に首席についたMatthew Whiteがいます。

我々の自由曲はSpiriti / Thomas Doss、とてもいい曲ですのでぜひ聴いてみてください。Eb Bass & Bb Bass(チューバ)たちがカップミュート指定があります。(運ぶの大変でした。)

多くの金管バンドのコンテストでそうですが、ステージにあがるとすでに目の前に優勝トロフィーが置かれており、コーリーやダイクなんていう歴史があり人気のバンドは客席はもちろん満席。これが地元のバンド(この年はオランダ)なんていったらものすごい熱狂に包まれるわけです。そんな雰囲気の中、素晴らしいバンドと共に初ヨーロピアン挑んできました。

ボブの引退の年であったこの年、コーリーは5位。決して満足のいく結果ではありませんでしたが、審査員や課題曲との相性、その年のメンバー、自由曲の出来など様々な要因が掛け算式に重なることで優勝できる水物なのが音楽、そしてコンテストなので仕方ありません。

しかし、我々の演奏後ボブやコーリーへの割れんばかりの拍手、スタンディングオベーションは凄まじく、頑張って良かったと思える素晴らしい時間でした。あの光景は今だに瞼の裏に焼きついています。

最後に

こうしてコーリーとボブの黄金時代は終焉を迎え、今につながるコーリーの新時代が始まります。

英国中、世界中が「あの世界ランキング一位のバンドの指揮者になろうとする無謀な奴は誰だ!?」と固唾を見守る中、僕自身も予想だにしなかった、でも「だったら良いな」と思っていた”彼”が現れます。

そして、ボブが去ることで奏者も数多く入れ替わりました。誰しもコーリーの衰退を予想しますが、我々の進撃は止まりません。河野も死に物狂い、そして気が狂うまでさらい挑んだ英国留学&Cory中盤戦!

次回はCory新時代

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Thank you

Kazz


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