ショートショート『あの人は世界のアイドル』
店内には昔の80年代のアイドルの曲が流れていた。
「この前、少女の拉致監禁事件があったよな。少女を拉致監禁するような変態よりは、アイドルオタクの方が人間的にずっとマシなんだろうな」とヨシオが言った。
「そりゃあそうだろうけど、アイドルオタクは犯罪者予備軍ではないし、そういう言い方は失礼じゃないのか?」と巌男が言った。
「アイドルに犯罪抑止力があるかどうかは定かでない」とヨシオが言った。
「多分ないやろ。てか、それどういう意味?アイドルの犯罪抑止力って?」巌男が聞いた。
「アイドル達が性犯罪のガス抜きの役割を果たしているという説」ヨシオが言った。
「ロシアでオペラが人気なのは旧ソビエト時代にポルノが禁止されてたから、というのはかなり有力な説だ」巌男が言った。
「何だか身も蓋もないが、有り得るな」ヨシオが言った。
「誰だって自分の都合の良い様に存在理由をでっち上げたりするもんやけど、そんなもんはイースター島のモアイ像とかエジプトのピラミッドとかカツラと同じ様なもので、存在理由があると言えばあるし、ないと言えば何もない。そもそもアイドルに犯罪抑止を期待するのってどうよ?」
巌男はそう言ったけれど、イースター島にもエジプトにも行ったことがない。カツラもしていない。
「この前ウチのカミさんが、すり胡麻のクリーミィさと辛味とがマッチした坦々麺が好きだとか言うから、坦々麺ってクリーミィな食べ物なのか?って聞いたら、一々うるさいとかキレられちゃってさ」
ヨシオ夫妻の仲の良さは周りの誰もが知っている。どうしてアイドルの話をしていて急にこいつのカミさんの話になるのかはイマイチ解せなかったが、きっとこいつにとってはいつまでもカミさんがアイドルなのだろう。
「仲が良いんだな」と巌男は分かり切った事を言った。
「生理前だったらしい。そんなんでキレられたら、こっちの心臓にも胃にも悪い。先々不安だよ」
そんな事を人前で言っても良いのだろうか、と巌男は思った。
「これからは更年期とかもあるしな」と巌男もつい下世話な事を言ってしまう。「坦々麺はもう食べられないな」そんな訳はないのだけれども。
「そうだな。でも俺は麻婆ラーメンの方が好きだ」そう言ってヨシオは焼いたシシトウに胡麻ドレッシングを付けて食べた。
「男にも更年期があるそうだ。男の更年期は金正恩のようなものだ」とヨシオは言った。
「イヤ、それは違うと思うよ」と巌男は言った。巌男には医学の知識はないが、その比喩は間違っていると感じた。変な誤解を生む表現に思えた。
「何もかもが何かの様でならねばならない。愚かしい比喩表現や形容詞の多用。小説家や詩人やコピーライターや聖職者の様になりたければ」
「そうそう。それにつけてもマッタリとしてスッキリとした深いコク」
そう言って巌男はゴクゴクッとビールを飲み干した。
「金正恩は裁判になったら死刑だろうけどな。普通に考えたらな。でもそこはさ、何とか身柄を保護するとか命の保証をしておいて、朝鮮半島統一を成し遂げて、そして防衛費の削減をして貰いたいね。軍需産業の関係者は困るだろうけども」とヨシオが言った。
「結局、日本にも南北が統一されて困る人がいるわけよ。アメリカにも大勢居るわけよ。きっと韓国にも中国にも居るんだろうよ。だからいつまで経っても南北が統一される事などない。統一してどういう国名になるのかも分からんけど、大韓民国かそれとも朝鮮国か国旗や国歌も変わるのか同じなのか分からんけど、分からん事だらけだけど」
そう、巌男に分かる事など何もないのだけれど、そんな事を話していた。
「日本にミサイルを撃ち込むとしたら、琵琶湖とか利根川上流のダムとかが狙い目なのかな?」とヨシオが言った。
「コスパ良さそうだな。防げる気がしない。福井県も良さそうだな。原発銀座と呼ばれるくらいだし」巌男が言った。
「福井県は最後の手段だろうな。距離的に近いし、攻撃した方も放射能で汚染されるし」
「福井県に密集させてるのも、抑止力みたいな意味もあるのかもな。攻撃したらあなたたちもタダでは済みませんよ、と。意図的な密集だったりしてな」
「そうかもな。それに風船爆弾ってのも洒落てていいかもな。でも、金正恩やその家族の命とか身柄とかは一応は保証してあげといた方が良いと思うな。死刑でもおかしくはないんだろうけど」とヨシオはやけに今日は優しい事を言うのだが、そういうのは巌男も決して嫌いではない。
「幸か不幸か、韓国では20年以上死刑の執行はされてない。死刑制度自体はあるんだけど、もう廃止にしようって議論が長年続いとる」と巌男は言った。
「法律は法律家の仕事を増やす為に作られている。でもそういう事情があるなら、金正恩も少しは安心して主役の座を降りられるよな」
「そうだな。少しは安心だろうな。早目に降りた方が良いのにな。アイドルだってずっと主役じゃいられないのにな。アイドルもAIになってくだろうし」
「弁護士だって裁判官だって、そのうちAIになるさ。教師も都知事も大統領も坊主も、何でもAIになってしまえば良いさ。でもどう考えてもあいつは不健康な生活送っとるよな。脂肪肝やし。冬場にトイレで息んでて脳梗塞で呆気なく死ぬんじゃねえのか?」
「そうだな。そうなったら皆が喜ぶし、世界中がハッピーで幸せな気分になる。死んだ本人にとっても幸せだろうさ」
「乾杯するか?」
「イイねぇ。金正恩の死に乾杯か?」
「イヤ、世界の幸せを願って乾杯しよう」
「そうだな。それじゃあ、世界の幸せに乾杯!」
そうして2人で極々薄めのウーロンハイを飲み、竹輪麩を食べたのだった。
おしまい