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Orchestra Fontanaはどうして成功したのか?

執筆者:ばしお

あれから一年。皆様いかがお過ごしでしょうか。
私はと言えば、子供が生まれ生活が一変したものの、それでいて尚、あの怒涛で愉快で波乱万丈だった一年四か月はやはり未だに深く心に刻まれています。

「もう一年も経つのに、まだ縋ってんのか!」と言われれば、「その通りです、すみません」としか答えられません。
これで最後にするので、勘弁してください。

Orchestra Fontanaはどうして成功したのか?
今さらになってこんなnoteを書いている理由について、まずは語らせてください。

全てが終わった直後。
私は最高の気分でした。
大盛り上がりの打ち上げを見て、「こんなことになるとは思わなかったな」という思いでした。

最高の気分の中、「どうしてこんなに上手くいったのだろう」という思いも抱えていました。
私は代表という立場上、あまりにも主観的で、近すぎて、何が起きているのか分かりませんでした。
感覚としては、手元で丁寧に育てていた雪玉がいつのまにか誰かの手によって転がされ、制御しようのない大玉となって全てを巻き込んでいったようでした。
終わってから一か月くらいはロスに苦しみながら、「何がどうしてああなったんだ」と考え続けても、全く答えが出ませんでした。

それから一年。
団体の内外から「終わったからこそ言える話」を聞き、徐々に、あのお祭り騒ぎの正体が掴めていきました。
予想外のことが誰かの心を動かしていたり、自分では些細な事だと思っていたことが人を傷つけていたり、良いことも悪いことも沢山聞きました。

その上で、私は、「Orchestra Fontanaは大成功だった」と胸を張って言える、と結論付けました。
そしてその理由についても、あくまで私の主観ではありますが分かったような気がします。

先に断っておくと、「みんなの思いが心を動かしたんだ!」というような青春アニメ的結論ではなく、客観的で、冷静な考察の羅列です。

「企画オケをやっているが、Orchestra Fontanaのような団体にしたい」という本当にありがたい話も耳にしました。
ほとんどの内容が「運がよかった」の一言で片づけられるようなもののため、参考にはならないかもしれませんが、是非見ていってください。

1.代表と執行部が良かった

Orchestra Fontanaは代表が良かった。
そう、私です。

ただ、これは私が特別優れていたとか、そういうことではなく、「噛み合った」というだけの話だと思います。

私のパーソナリティを自分自身は「リスクやリターンや倫理観が欠如したロマンチスト」だと思っています。
出すアイデアは魅力的でも、現実的でなかったり、法律やモラルに引っかかっていたり、という「当たれば100点、外したら-100点」という、大博打打ちです。

その危険なアイデアを無毒化し、現実的な形にしてくれていたのは常に執行部の面々でした。

例えば、私のアイデアの一つに「プレコンは会場内の三か所でやろう!屋外とステージとロビー!開場から開演の間の一時間、フェスみたいにしようぜ!」というのがありました。
これを、「ステージ上で五団体(予定では六団体でした)のプレコン」という形であればなんとか実現可能だという形に落とし込んでくれました。
実際にやってみて知ったんですが、コンサート当日ってあんなに時間カツカツなんですね。本当に危なかったのでおススメはしないです。

執行部の面々は、はじめから「屋外は許可取れなくない?」とか「お客さんの流れどうする?」とか、こんなふざけたアイデアに対しても、割合真面目に考えてくれた覚えがあります。
少なくとも「普通に2団体にしようよ」とは言われなかった気がします。

執行部は私から見れば同期と後輩だけで、荒唐無稽のアイデア(ここにはとても書けないものもあります)を出し続けるじゃじゃ馬の手綱をよく握ったなと他人事のように思います。
アイデアを頭ごなしに却下されていたらきっと面白くなかったですし、逆に全てが採用されていたら全てが崩壊していたに違いありません。

運営メンバーの中に「非現実的でも面白いこと」を言える人がいると、企画オケという「なんでもできる場」は面白くなるような気がします。
Orchestra Fontanaでは代表がそのポジションになることが多かったですが、代表はどちらかと言えば「夢を現実にする」仕事をした方が納まりが良いかもしれません。

2.タイミングが良かった

これは、「コロナ明け」と「中心メンバーの年齢」という二つの視点があります。

まず「コロナ明け」ですが、これはただただ「運が良かった」としか言いようがありません。
未だに完全に脅威が去ったとは言えませんが、本番後に打ち上げをしても後ろ指を指されることはないというタイミングでした。
企画した当初は「緊急事態宣言が出たときのガイドライン」まで作っていたんですが、無駄になって本当に良かったです。

これはただ「落ち着いてよかったね」というだけでなく、多くの人の行動制限が様々な鬱憤を生み出し、それを発散するエネルギーも団体のエネルギーになったように思います。

「中心メンバーの年齢」も、結果的に上手くいったという話なのですが、卒業して5年程度のメンバーを中心に在学時に被っていた人を誘うとなると、卒業したてのOBOGから卒業後10年程度のOBOGまでを綺麗にカバーできます。
芸工のメンバーには限りますが、その全員が尾崎先生との共演を経験済みというのも運が良かったポイントです。
これに現役のメンバーが足されることによって、100人という大規模な人数にも関わらず、賛助もなく「全員誰かの友達」という素晴らしい状況が実現できました。
恐らく中心メンバーが2学年でもズレていれば、人集めの難易度は格段に跳ね上がったように思います。

上の話だと、中心メンバーが現役とは縁が切れているように思えますが、そこを繋いでくれたのは19代のチェリストでした。
彼女がいなければ本当に成り立っていません。ありがとうございます。

この形式のオケ自体は在学中から考えてはいたものの、それが五年目という最高のタイミングになったのは完全に意図しないものでした。
運勝ちです。

3.どのくらい頑張ればいいかわからなかった

東京と福岡でそれぞれ三回ずつ練習して、あとは指揮リハと本番だけ。
似たような形式の団体も実は存在するのですが、少なくとも運営メンバーに経験者はいませんでしたし、メンバーの多くも未知のものだった筈です。

これは運営面、演奏面のどちらにも良い緊張感を与えたのではないかと考えています。

運営メンバーは週一で会議をしていたものの、実際に顔を合わせる機会はありませんでした。
更に、東京と福岡でのそれぞれの練習では単純に運営メンバーも半分となるため、問題なく当日練習できるよう、かなり入念に準備しました。
多少の問題はあれど、恙なく当日を終えられたのは、どれほど準備すればよいか分からず、「頑張りすぎた」からだと思っています。

演奏面で行くと、慣れない形式であったために、「今のクオリティで本番どうなるか」を誰も想像できなかったのが良いように働いたのではないでしょうか。
常設の団体であったりすると、初回の練習がボロボロでも「大丈夫!本番までにはなんとかなるよ!」と言って、実際になんとかなる、という場面を何度か見たことがあります。
慣れているが故に、本番までの逆算がしやすいからだと思います。

ただ今回の形式は誰もが未知であったが故に、「いい感じなんじゃない?」となっても「本当に?」という疑念を捨てきることができませんでした。
合わせられる時間に制限があるからこそ、それまでの準備に時間をかけ、貴重な時間を意義あるものにしようという意識が生まれたように思います。

結果論ではありますが、参加者の実力が十二分に引き出された素晴らしい演奏だったと思っています。

4.他人に強制する雰囲気が生まれなかった

東京と福岡の二会場で練習する、という方式に決めたとき、執行部内では「これ両方行くっていう人が出るとマズいぞ」という話になっていました。

ただでさえ遠征組は金銭的な負担が大きく、福岡側は弦トップがいないという精神的負担が大きい中で、「やる気あるなら両方行けよ!!」という風潮が生まれてしまうと、どこかに犠牲者が出てしまうのではないかと危惧していました。
そのために、執行部内では敢えて両方の練習に出るようなことはせず、そのような風潮が生まれないように気を付けていました。

しかし、実際には東京から福岡、福岡から東京へ練習に向かう人も発生してしまいました。
飲み会のノリで「東京組がこっち来るんだから、こっちも行かなきゃ不公平だよなあ!」と飛行機を予約している様子を、実は内心冷や冷やしてみていました。

ただまあ、そのノリも行きたい人だけで、そうでない人に対して圧がかかるほどのものにはならなかったので安心しました。

私個人は、この演奏会に命を懸けて取り組んでいましたが、しかし、それを周りには決して押し付けたくないと思っていました。
それぞれのライフステージがあるのは勿論、思い入れを持てるかどうかも各々に依存しています。

当たり前の話しではありますが、全員が同じモチベーションのわけがありません。
学生時代には高いモチベーションの人と低いモチベーションの人での摩擦をよく目にしましたが、今回は高いモチベーションの人が「あくまで自分が頑張る」という立場をとっていたように思います。

みんな大人になったということでしょうか。

5.選曲が良かった

ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 ホ短調 Op.93
グリーグ 「ペール・ギュント」 第1組曲 Op.46 / 第2組曲 Op.55 より抜粋

このオーケストラのコンセプトには「指揮者の先生にプログラムを全て決めてもらう」というのがありました。
どうしてこの二曲になったのかとお聞きしたところ、「ショスタコーヴィチはマスターピースだから」「ショスタコーヴィチだとお客さんが不安だから、聴きやすい曲を」「ペールギュントなら特殊楽器も少ないでしょう」「どっちも得意なんだよ」とのことでした。

どこまでが先生の想定通りだったのかは分かりませんが、運営面、演奏面のどちらにおいても非常にありがたい選曲であったように思います。

特にショスタコーヴィチですが、それぞれのパート譜は非常に難しいものの、ユニゾンが多く、どこかのパートが欠けても曲として成り立つということが多かったです。
東京と福岡のそれぞれで練習して、最後の合わせはたった二回、というこのオケに、この難しさは非常にマッチしていました。

ショスタコーヴィチは非常に難しい曲ではありましたが、これが「個人練はいけるんだけど、合わせると難しいよね」というような曲であったら、クオリティは下回っていたのではないかと思います。

ここまで想定されていたのでしょうか。私は偶然だと思っています。

6.各々の理由で頑張っている人が沢山いた

これが最後になりますが、これは完全に精神論です。

「あの人に上手くなったのを見せたい」と言っているのは私だけではありませんでした。
「尾崎先生のショス10を審議で落としたのがずっと心に引っかかっていた」
「めっちゃ弾けてるようになってるの見て俺もめっちゃ練習したわ」
「途中で退団して最後の演奏会に乗れなかったのを申し訳なく思っていた」
沢山の理由がありました。

アマチュアは音楽以外が生活の中心にあるからこそ、モチベーションによって演奏のクオリティが大きく左右されると思います。

執行部では、どうすればモチベーションをあげられるのか、というのは初期段階から頭を抱える議題でした。
今だから言える話ですが、noteを週一で誰かに書いてもらう、というのも実は、「参加している感」を早めに植え付けてしまおうという狙いがありました。
それも上手くいっていたかというと、かなり怪しいです。

結果的に執行部としては、「みんなのモチベーションをあげる」という目的に対して、匙を投げました。完全に諦めました。

蓋を開けてみれば、執行部による努力が虚しいほど、各々が各々の理由で頑張っていました。

「他人のモチベーションをあげる」ということが如何に難しいかということを酷く痛感しました。
ぶっきらぼうな言い方になりますが、「各々が勝手にモチベーションをあげてくれた」というのが現実です。

これが一番大きな成功の要因であったように思うのですが、しかし、これが一番どう再現すればいいのか分かっていないものでもあります。

最後に

結局、何が成功の要因だったのか、と聞かれても、結局、一言では片づけられないな、というのが結論です。
これを参考にしようと思っていた人には肩透かしを食らわせてしまったかもしれません。

様々な要因が絡み合い、大きなものとなりましたが、その激しい奔流が堰き止められることなく皆を巻き込んだのは「運が良かった」としか言えないような気がします。

Orchestra Fontanaのことだけを考え続ける一年と四か月は本当に楽しい日々でした。
私が人生で成し遂げたことの中で、最も大きな成功であったことに疑いようもありません。
あの興奮をもう一度味わいたくないか、と聞かれればそりゃ味わいてえよとしか言えません。

実は尾崎先生は「第二回やらないの?」と仰っていて、私の手元には第二回のプログラム案が書かれた紙があります。

心残りが無いのか、と考えると、一つだけあります。
それは、今回一緒に演奏できなかった人のことです。

人数の枠の問題や、仕事や出産や育児など、様々な理由で一緒に演奏できなかった人たちが何人もいます。
一生の憧れの先輩や、返しきれない恩がある同期や、バカ騒ぎした後輩がいます。

しかし、この問題は第二回をやったところで解決できるとも限りません。
結局オケの人数には限りがありますし、次のタイミングだったら乗れるかと言われると全く保証がありません。

それに、第二回をしたところで「タイミングはよくない」し、「どのくらい頑張ればいいかわかっている」という問題もあります。
私自身も親となり、24時間全てを一つのことにベットさせるというのが不可能になったというのもあります。

正直なことを言えば、誰かにやってほしいという気持ちがあります。
「タイミングが良くなった人」に、意志を受け継いでほしいです。
Orchestra Fontanaの看板が欲しければ差し上げますし、気に入った部分だけ真似して別の看板を掲げていただいてもかまいません。
尾崎先生がお待ちです。

矛盾した言い方にはなりますが、一緒に演奏できなかった人たちがいる、というのと、Orchestra Fontana以上に最高のメンバーはいない、というのは、どちらも本当の思いです。

私は理想のオーケストラを作りました。
もしこれを読んでいる貴方の理想のオーケストラがあるのであれば、是非それを実現してほしいと願っています。
もし万が一にもそのメンバーに自分がいれば、それ以上に幸せなことはありません。

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