新生児の育児が始まってから分かった意外な大変なこと
こんばんは、ばしおです。
無事に子供が生まれ、育児が始まってから一か月が経ちました。
子供が生まれる前、育児について、漠然と大変だろうなというイメージはありました。
「2~3時間おきに授乳があって寝られない」「産後鬱に気を付けないといけない」「生活が赤ちゃん中心になる」
成程、確かに全てその通りだと思うのですが、しかし、実際にはじまってみると「こんな所に落とし穴が!」となる大変なことが幾つもありました。
これから育児の予定の方へ、落とし穴の心づもりができれば良いなとおもっております。
まだまだ経験一か月の初心者ではありますので、先輩方は「この程度で大変なんて言ってまだまだ甘いのお」なんて言わずに暖かく見守ってください。
1.毎日ルールが変わる
子供が人生初心者なように、大人も育児初心者なわけです。
ミルクの量、おむつ交換の方法、お風呂の入れ方、知らなければならないことが沢山あります。
その上で、単純にそれに従っているだけではうまくいかないこともでてきます。
例えば、うんちがでない。さて、どうすればいいか。
例えば、ミルクを飲んでから6時間経ったけど欲しがらない。さて、どうすればいいか。
暇であれば、調べてみていただきたいのですが、有象無象・千差万別の意見がでてきます。
育児中の友人に聞いて分かったのですが、病院の先生によっても意見が異なります。
自分と妻のそれぞれで調べて「こうってみたけど」「いや、それ実はよくないってみたよ」なんて会話は幾度となく繰り広げられました。
そういいながらもいろいろと試して、「うちの子ではこのやり方がいいのかな」となった翌日。すべてのルールがひっくり返ったりします。
一か月の赤ちゃんにとって、一週間は人生の四分の一。三十歳から見たら、毎日一年分の経験をしているようなものです。
「昨日まではこうしたら泣き止んだじゃん!」「ミルク飲む量が突然倍!?」なんてことは日常茶飯事です。
せっかく調べてうまくいくと思った法則が平気で塗り替えられていく様子は、成長を感じられて嬉しいものの、着実にメンタルを削ってきます。
我々は仕事でも、遊びでも、人間関係でも、無意識に「ルール」を探しており、それが正しいと確信することで喜びを得ているのだと実感しました。
多くの先人たちが「育児は適当が一番!」と言っており、これは不動の法則なんだろうと感じています。
法則を探しながらも、それがいつひっくり返っても良いと思える心づもりが大切そうです。
2.自由時間は意外とあるけどできることは限られる
育児は全く時間がとれない!というイメージがありましたが、実際には自由時間も全くないわけではありませんでした(実際にこういう文章が書けているわけです)。
育休が取れているからというのもあるのですが、子供が寝ていて、家事が完了している時は割と自由時間が手に入ります。
しかし、この自由時間にはいくつかの制約があります。
自由時間は大抵、妻も子供も寝ているという状況のため、一人での外出は当然できませんし、大きい音を出すのも避けたいところです。
妻が寝てから子供と同室で一緒に過ごす夜は、子供に昼夜の概念をつけるため、暗い部屋で静かに過ごすことにしています。
ゲームもできなくはないのですが、突然泣き出すことを考えると、咄嗟に手を離すことができないオンラインゲームなどはかなりハードルが高くなりました。通話の音量も絞られます。フルボイスのゲームも没頭はできません。楽器の練習も厳しい。
勉強や読書もいいのですが、慢性的な寝不足の中で集中力を保つのにも限界があります。
さて、何ができるでしょうか。
なにもできない!ということは無いのですが、制約が大きいのも事実です。
仕事が趣味という人が育休中にすることが無くてつらいというのも聞いたことがあります。これって多分育児に非協力だからというわけではないと思います。
音楽が趣味の人は音に制約が生まれるため、辛いことがあると思います。
結局探索系のゲームで無為に時間を溶かすことが多いのですが、これが事前に分かっていれば多少準備ができたのではないかと考えてしまいます。
3.笑ってくれない
赤ちゃんのイメージと言えば、天使のような笑顔!じゃないでしょうか。
歩いたり喋ったりは少し先だろうけど、最初は泣いたり笑ったりだけなんだろうなというイメージ。親以外にだっこされたら泣いたりとか。
これは自身が誤解していたことで、同様に多くの人が誤解していることだと思うのですが、「生まれたての赤ちゃん」として想像しているイメージは多くの場合「生後二か月程度の赤ちゃん」だと思います。
実際の「生まれたての赤ちゃん」というのは、視力が弱く、親の顔も碌に見えていないため目線が合わず、当然親とそれ以外の区別もつかず、感情が完成していないため、笑うこともなく、基本的に反射と本能だけで生きている生物です。
偶に笑ったような表情を見せることもありますが、それも理由がなく、ただの反射です。
自分の肉体を自分の意志で動かすことができると気が付くのが生後二か月というタイミングだそうです。人の顔を見て笑うということも、このころになるとし始めるとか。
育児というのは大変です。
そして、その報酬は「赤ちゃんの笑顔だけ!」と思っていると、残念ながら二か月間未払いとなります。
生きているだけで可愛い生き物ではあるのですが、赤ちゃんとの触れ合い・コミュニケーションを望んでいると、思わぬ心の辛さを生むかもしれません。
4.休みがない
毎日、毎日、育児!
これまで仕事や研究や勉強やサークルなど、人生の中で大変だと思うことはそれなりに経験してきたつもりです。
それらと比べて、育児が一番大変!というつもりは無いのですが、ただ、それらとは辛さの「質が違う」と感じています。
一日の起きている時間すべてを勉強に費やした受験勉強と比べてみたら、やること自体は少ないし、拘束時間自体も短いように思います。
ただ、受験勉強はいつでも息抜きができますが、育児は息抜きができません。
受験勉強には終わりがありますが、育児の終わりはかなり遠い先の話です。
終わりが遠い先という点では、仕事と近いかもしれませんが、「仕事をしていない時間」はあるのに対して、「育児をしていない時間」は存在しません。ずっと電話番をさせられているような感じといえば伝わるでしょうか。
「完全に子供のことを頭から消し去ることができる時間」が存在しないのは、かなり大きなプレッシャーになります。
いつ呼ばれるか分からない、この生活がいつ終わるか分からない、という状態が24時間続くのは人生において未知の経験でした。
5.外食ができない、あたたかいご飯が食べづらい
「外食ができないから生まれる前に食べとき」というのは友人の言葉で、覚悟はできていたつもりでしたが、実際かなりキツいです。
これは我が家の立地の問題もあるのですが、家の近くに外食できるところは幾つかあるのに対して、テイクアウトをしているところがほとんどありません。
その結果、「今日はしんどいから自炊やめとこう」となった時の選択肢が非常に少なく、自炊を完全にやめてしまうと、餃子の王将とマクドナルドとピザという不健康すぎる三角食べをしなければならなくなってしまいます。
そのため、多少辛くても自炊をしようという日が多いのですが、そうなると今度は「それあたたかい状態で食べられる?」という問題に直面します。
食事中でも関係なく赤ちゃんの泣き声という緊急アラームが鳴ることは多く、ミルクを所望されてしまえば、20分間脂が冷たく固まっていくハンバーグを眺めることになります。
今日は玉ねぎを飴色になるまでしっかり炒めてみたんだ!という自信作が冷えていく様子の悲しさと虚しさは、料理好きにはつらいものがあります。
「家の周りは居酒屋とラーメン屋ばっかりだけど、どこも美味しいから最高!」という人がいれば、注意が必要かもしれません。
6.親がうっとうしい
はじめに言っておくと、私の両親は客観的に考えても、良い両親だと思います。
そのうえで、うっとうしいのです。
両親が、孫に会いたがります。
何かと理由をつけて会いに来ようと企みます。
まあ、気持ちはわかります。
ただ、こちらはいつもギリギリの状態でなんとか自転車操業している状態の中で、「ただ会いたい」という目的のために付随された「○○渡しに行くね」等の対応をさせられると、必ず何らかの歪みを被ることとなります。
例えば、大切な友人と遊ぶなどであれば、この歪みを覚悟して、それでも遊びたい!と覚悟できるのですが、向こうが会いたい!会いたい!というなっている状態に対してこちら側が覚悟をしなければならないのは大きな心労になります。
お宮参りなど、両親が参加するイベントを開催しなければならないという課題もあります。
なんとか上手くいっているという状況に対するイレギュラー対応が辛いという、これは言ってしまえばただの愚痴です。
7.育児用品の相場が分かりづらい
ベビーベッド、だっこひも、ベビーカー。
さて、それぞれの相場はいくらでしょう!
私は今でも答えられません。
ものによって値段が違いすぎるのです。
例えば、だっこひも。
3,000円程度のものもあれば、40,000円程度のものもあります。
40,000円のものをちゃんと調べたら、ミ〇ハウスのロゴがついていないと20,000円になるということもありました(ミキ〇ウスは万物がとんでもなく高いです)。
さらに、お店によって割引の制度が異なり、Amazonで買うのか、西松屋で買うのか、ベビザラスで買うのか、それぞれでも大きく値段が異なります。
買わずに、レンタルという選択肢もあります。
さーて、どう選んだものか。
高ければ一概に良いものというわけでもありませんし、今後の養育費を考えていくとすべてを一級品というのは現実的ではありません。
こういうことがすべてのベビーグッズで発生します。
しかも、そのほとんどが初めて手にするものばかりです。はじめは使い方も分からないものが沢山あります。
これに関しては、情報戦的な面が強くあると思います。
友人の経験談、ネットの情報、店頭での営業トーク、どれを信頼するかは己次第でしょうが、とりあえず情報はあればあるほど良さそうです。
育児しながらそれできるの?というのはまた別の話ですが。
8.人生の終わりについて考えてしまう
これは私だけでしょうか。
まだ何もできない、ただ反射と本能だけで生きている生物の世話を毎日していると、いずれこれがどうなるんだろうと考えてしまいます。
話すようになるのはいつだろう、いずれ反抗期とか来るんだろうな。
そうすると、必然、己の人生を顧みることとなり、自分の人生が始まって既に三十年が経過していることを強く実感します。
そして、自分の子供が二十歳という節目を迎えるとき、自分は五十歳となり、仕事の終わりも見えてくるんだろうな、ああ、そうなると人生の終わりも見えてくるんじゃなかろうか、という気がしてきます。
上の話にもなりますが、何もできない自由時間が長いというのもあると思います。
自分の人生、何をしてきたか、これから何をしようか、ということを考える頻度は子供が生まれてから格段に増えました。
何か大きなことをしようと思っても、子供がいるという制約は確実に存在します。
この歳にもなって未だに己の人生の意味みたいな中学生の内に考えておけばよいようなことをこう何度も考えてしまうことになるとは意外でした。
子供が中学生になって相談されるまでには答えを出しておこうと思います。
⒐喧嘩の仲直りが大変
二人とも寝不足で体力も精神も余裕がない中、一つの対象に対してそれぞれのやり方(しかもそれが正しいかは確信がないまま)育児をし続けるとどうなるか。
新入社員二人が碌に引き継ぎもないままに、二人で協力して失敗が許されない一つの作業をするようなものです。
「そんなことしちゃダメでしょ」「これしてって言ってたじゃん」「なんでそんなことしてるの」
当然、喧嘩が発生します。
これ自体は、まあ共同生活をしている中でも、まま発生するものだと思うのですが、育児が始まってからだと、仲直りが大変だなと感じました。
「一旦、冷静にしっかり話し合おう」としても、赤ちゃんが平気で中断してきます。
「外に出て気分転換しよう」としても、そもそも最初の一ヶ月、母子は外出ができません。
「映画でもみようか」「美味しいものでも食べに行こう」「前から欲しいって言ってたの買ってきたよ」どれも難しいです。
しかも、喧嘩が長引くと家事が滞り、明日の自分たちの首がどんどん締まっていきます。
育児が始まる前から「喧嘩したらこうやって仲直りしよう」というのは明文にしろ暗黙にしろ、どの家庭にもルールがあるのではないかと思います。
その方法が育児中でも適用できるものであるか、考えておいた方が良かったです。
じゃあいいことってないの?
あります!!!
こどもが死ぬほど可愛いです!!!!!
毎日夕方のニュースで赤ちゃんが紹介されるコーナーがあるのですが、客観的に見ても我が子が一番可愛いとおもいます!!!!!
ただ生きてるだけで可愛いなんて、これが歩いたり喋ったりしだしたら私は脳が破壊されてしまいます!!!!
全人類、我が子を抱っこしに遊びに来てください!!!!!!!!
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