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時間にルーズな日本人

日本社会では約束の時間を守るのは大事だと教えられる。学校や職場で遅刻するのはもってのほか、仲のいい友達との待ち合わせでも、遅刻した場合には嫌な顔をされることがある。

この約束の時間を守ることは社会規範ともなっており、公共の交通機関は一分でも遅れることは許されない。また、この社会規範を他国と比較して文化的な優越感にひたるところもどこかある。

盲目的に文化的優越を感じていれば見えなくなりがちだが、これらの社会規範はあくまでも「始まり」の時間への拘束である。「始まり」があれば、「終わり」もある。この「終わり」の時間について、「始まり」の時間と同じ度合いで社会的規範、守らなくてはならないという空気感があるかと問えば、それはまずもってない。絶対にない。あらゆる場面で、それを意識させられることはついぞない。

例えば誰もが体験しているであろう、校長先生の朝礼は長い。あれは「終わり」の時間があるはずだが、それをまったくもって守られた試しがなく、ひたすら無駄な時間に耐えなければならない。

また、学校の授業が時間通りに終わることはなく、むしろ時間をオーバーして授業をするのことの方が素晴らしいという空気感さえある。

どちらも時間を守ってないにも関わらず、社会的に問題視されることはない。日本人は時間にルーズとしか言いようがない気がするのだが。

  


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