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リクルートスーツを着用しての就活は、まだ職業選択の間口が広いんじゃ?

リクルートスーツを着用しての就職活動には、批判的な意見が多い。その理由として、没個性的な服装や、マニュアル対応で画一化された学生の受け答え、企業による青田買い、学歴フィルターなどが挙げられる。また、リクルート社がこの仕組みで大きく利益を得ていることも批判の文脈に含まれているのだろう。

しかし、個人的には、リクルートスーツを着て就職活動を行うこと自体を一概に否定はできないと感じている。この就職活動に参加できること自体が、実はある面では特権的な立場であるのではないかと感じるからだ。実際、同じ年齢であっても、就職戦線に参加する機会すら持てない若者は多く存在する。

こうした状況は、しばしば自己責任論で片づけられるが、それだけで済む話ではない。具体例として挙げられるのが、日本に長期滞在している外国籍の子どもたちだ。なかなか社会問題化していないだけで、各地の公立小学校には、日本語を理解しない親を持つ外国籍の子どもたちが増えている。

中国や韓国から来た子どもたちは、文化的に日本と親和的な部分があるため、比較的日本社会に適応しやすい。しかし、中国文化圏以外のバックグラウンドを持つ子どもたちは、生活の中で大きな困難に直面している。例えば、親が日本語を理解しない場合、子どもが通訳やサポートの役割を担わざるを得ず、日本語習得に相当な努力が求められる。また、仮に彼らが日本語をネイティブレベルで習得し、日本の大学を卒業したとしても、果たしてリクルートスーツを着て就職戦線に参加できるかと問われれば、あなたはどう答えられるか自身で問いてほしい。

この問いに対して、「イエス」と答えるのは現実を見ていない。日本社会の中には、こうした若者たちが直面する、リクルートスーツを着用した就職戦線にも入れない、「見えないカーテン」が確実に存在するのだ。

ついつい批判の対象となりがちなリクルートスーツや就活だが、そもそもそのフィールドに立てない若者たちの存在に目を向けることも必要だ。今後、確実に顕在化してくる社会問題について、思考を巡らせておきたい。

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