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満員電車という公共のストックを破壊する行為はなぜなくならないのか
朝の通勤ラッシュ時、東京へ向かう電車に乗ると、まるで圧縮プレスにかけられているのではないかと錯覚してしまう。日本全国でこれだけ鉄道網が発達し、テレワークができるインフラが整っていている現代でも、満員電車は日常の風景として現存してしまうのか。
この問題を解決するには、単に電車の本数を増便したり、在宅勤務を推進するだけではどうにもならないと思う。朝、電車乗るのは、単純に始業時間にあわせて行動する人が多く、どうしもも同じ時間帯に電車にならざるを得ないからだろう。それであれば、始業時間を変えてもらうしかほか無いが、どこに始業時間の変更なるババを引かせるかだが(通勤者からしたらありがたいだろうが)、それを国が業務命令にしてしまうのは残念ながら違うと思う。
別の方法を考えれば、朝の通勤に対するインセンティブを変えるしかないと思う。例えば、通勤時間帯の電車料金を高くし、それ以外の時間帯を安くするなどの料金変動制を導入だ。これにより、乗客は混雑を避けて通勤時間を分散させようと、自ら行動に移すだろう。
ただ、この案の実現は簡単ではない。鉄道会社は国土交通省の許可が必要であり、政治的な障壁も高い。満員電車の解消のために、わざわざ料金を上げようとする施策に、電車利用者が賛成するとは限らない。また、人気取りの政治家が電車料金の値上げに口出しをすることも考えられる。
ただ、満員電車を放置するのは、この公共のストックを破壊する行為に等しいと思う。共有地の悲劇ではないが、鉄道利用者各自の利益を最大化(果たして、満員電車に利用者の利益があるのか?)をしては、鉄道インフラがダメになってしまう。どうにか、鉄道利用者のインセンティブを変えて、この公共ストックを守っていければと思う。
結局のところ、満員電車に内在する問題は、技術的な問題ではなく、利用者各自のキメの問題なのかもしれない。