ちゃぶ台返し(社内根回し編)
宮仕えをしていて、合意形成までに多くの部署と接触し、多くの(ゴミのような)意見をまとめ上げ落としどころを探り、最終合意段階までの道筋が見えたところでちゃぶ台返しを受ける、そんな悲しき経験を受けたサラリーパーソンは多いと思う。
このちゃぶ台返しには、大きな括りでは2つのパターンがあると思う。
鶴の一声のケース
最終稟議の段階で、会社法上の取締役クラスが何気ない鶴の一声で合意形成のちゃぶ台返しを喰らうパターンがひとつ。
俺はきいてないのケース
それとは別に、部長なり本部長なり、セクション単位でのマネージャーによるちゃぶ台返しがある。だいたいの捨て台詞は、「オレは聞いてない」となる。
前者については、最終稟議者に権力があり、会社法上の善管注意義務違反を回避するためにも、その鶴の一声があると、強引に好意的に解釈することはできないことはないことはない(はず)。ただ、この鶴の一声によるちゃぶ台返しは、ちゃぶ台返しする者にとって、そんなに胆力を要する訳ではないのがポイントなる。社長の一声により、組織の腰巾着が勝手に自主的に動いてしまうだけなので、このちゃぶ台返しは組織内でさしたる抵抗はおこらない。ただし、会長派、社長派のように、社内派閥が形成されているケースでは、鶴の一声は互いの立場をけん制する関係で、なかなか起こり難いような気がすることに留意が必要(こちらは経験値としてのサンプル数が少ないので、何とも言い難い)。
後者の、「俺は聞いてない」系ちゃぶ台返しについては、関係者のコンセンサスをぶち壊しにする行為でもあり、抵抗のポイントが高い。たまに、マネージャーが意見を出るだけ出して、マネージャーの部下連中が意見集約を関係者と行った結果、結局は下々の連中の胃が痛くなるだけで何の生産性もなく終わるパターンもあるが、これは含めないとする。
ポイントとしては関係者の合意形成に費やしたすべての苦労を水泡に帰すところが、この「俺は聞いてない」系ちゃぶ台返しの美しいところ。そして、その後の部署間のコンフリクトが続くこととなり、かの地域の紛争を肌感覚で少し理解できる。
この「俺は聞いてない」系ちゃぶ台返しだが、自分の経験では正論型(こちらは現場が回らなくなる)、意見型(こちらは今さらそんなこと?を指摘し、調整者の顔を潰して終わる)、劇場型(イミフなことど騒ぐ)を見たことがある。
正直、この手のちゃぶ台返しは個人単位てはストレスであるが、組織としての生態系を考えた際、清き水だけでは生き物は生きていけないとも捉えられ、万が一に組織として一線を越えてしまうことを防いでくれるかもしれないと夢想する。
ただし、自分はそうと感じたことはないが。