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感想ログ「映像研には手を出すな!」
見た
最悪なこと言っていいですか
「ルックバック」とかこういう才能ある若者がめっちゃ努力してる作品を見て自己投影してTwitterで「刺さった」とか「くらった」とか「やる気でた」とか言っておけば手軽に”クリエイターな自分”を演出できて便利ですよね。以上です
あとほかについてそうなクソリプ(クソリプって言った)としては「金森は自分で絵を描くわけでもないのにガタガタうるせ~し偉そうで嫌い」かなと思いました。自分は金森のことだいぶ好きだけど「金森氏好き」っていうのもなんかだいぶ鼻につくクリエイタームーブっぽくてイヤだな
ちょっと自意識引っ込めてくれ頼む
あと金森好きなのは金森氏に推しの影を見ているところけっこうある。幼少期の商売人エピソードいいですね……
賞賛や最悪なクソリプがたくさんついているからといって作品に付加価値がつくわけでも棄損されるわけでもないし、そういう外野の反応は当人たちにとっては些事でしかないのだろうなというのがひしひしと感じられるのがよかった。他人の評価とか数字とかをまじでどうでもよがっている人の作るものには独特の安心感がある。金森は評価というか”採算”を象徴しているキャラクターだけど、その役割が作品から切り離されて過度に内面化されていないのも良さだなと思った
(だからってあんなわかりやすい憎まれキャラにする必要があっただろうかとはちょっと思うけど。ああいう描き方をすることで”創作と金儲けの関係性”みたいなところに哲学の比重が傾きすぎていてそれはもうわかったからさ〜〜〜となるところがちょっとあった。わかってねえやつにはちゃんと台詞で説明してあげなきゃわからないでしょうというのはわかるけど、それは「いまわかってねえやつ用の説明を聞かされているな……」という視聴体験があんまり心地よくないのとのトレードオフだと思う)
3人は同じチームではあるけど採算はクリエイターではなくプロデューサーが担当者であり、プロデューサーの采配がだいぶ大きくプロジェクトを推し進めていく。その距離感が、経済的合理性について描かないのは”アニメ”を取り扱う作品としては不誠実だという作者のポリシーとちゃんと両立している印象だった
即売会での売れ行きが最初そこそこ渋いの、売れ行きと作品の出来の良し悪しが比例しないっていうことを言いたいんだろうけど、世の中には出来がそこそこでも売り方が上手なことによって売れてしまってる事例がしぬほどあることを考えるとなんともいえない気持ちにもなる。たいしたことないものでも売り方さえ考えればある程度なんとかなるというメッセージに曲解することすらできてしまった。けど、金森は作品の出来とかはどうでもいいというようなことも言ってた気がするからその意味では趣旨一貫している。ほかのふたりが「なんだかな〜〜〜」というかんじになっていたのがリアルでよかったし、そのふたりの間でも水崎は”売り方に左右されない実力”を評価されたいという承認欲求があり、浅草にはそれがまったくないという対比があるのも「そうよな」と思いました