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読書ログ「Science Fictions あなたが知らない科学の真実」

  • 前情報と前書きだけでおなかいっぱいになってしまって本文があんまり頭に入ってこなかった。でも評判通りおもしろかった

    • でも、ぜんぜん本筋ではないことは重々承知のうえで、この本が理系研究や学問に対するアンチというかカウンターとしてていよく利用されがちそうな危うさを感じた。極端にいえば「だから科学なんてうそっぱちだ!!」みたいな頭の悪いすぎる飛躍の根拠として、反知性に対するエサとしてあまりにも格好だなという印象

    • 再現性がない=その研究が間違っている、というわけでもないと思うんだけど、その研究が正しかろうが間違っていようが、それをおもしろトピックとしてとりあげてあだこだ言いたい一定層に見つかったが終わりの始まりだという気がしてしまう。そしてそういうおもしろトピックこそ世の中に見いだされやすく、なおかつ研究者自身もそれを目指してしまってる(なぜならそれがいちばんお金が稼げるから)という悪循環がある

    • もしかして、もうここが世界の終着点であり、発見とか発明とか新事実とかはこれ以上この世に生み出されようもないのだという可能性はないか??「Invention and Innovation」の影響受けすぎかもしれないけど

      • もうこのさきの世界には”画期的な新発見”など望めないのかもしれないのに、いまを生きる研究者たちはまだ見ぬ新大陸を求めてがんばって勉強したり、研究したり、不正を働いたりしているのだとしたらあまりにも悲しすぎる

      • それこそ不老不死の妙薬を開発したり、宇宙に移住するとかっていう話でもない限り、世界が一変するようなイノベーションなんて今後起きようがないのではないか。たとえばマクベス効果に再現性が認められてほんものだと証明されたとして、それで世界のなにが変わるというのだろうか。当然、研究者は「そういう小さな発見こそが!」というスタンスをとらざるをえないのだろうけど

      • いますぐ社会の役に立たないことでも探求することが大事、だから基礎研究にもっと金を出せ、っていうのも、なんかもうなんでそのフィールドを延々ぐるぐる回り続けて必死に自分たちの価値をアピールしなければならないのだろうという気持ちになってしまう。あっこれが冒頭の「反知性に対するエサ」ですね。でもなんというかこう、もうちょっと経済的合理性と学術研究の意義とを切り離して考えてほしいよと思う。「いつか役に立つかもしれない」ではなくて、「未来永劫、役になどたたないことはわかっているが、そんなことはどうでもいい」と言ってはくれんか

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