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読書ログ「禍いの科学 正義が愚行に変わるとき」

  • THE・ポピュラーサイエンス本ってかんじでワーッと楽しく読めた(内容はぜんぜん”楽しい”とかいうレベルじゃない惨事が多いけど)

    • フリッツ・ハーバーのことハーバー・ボッシュ法でしか知らなくて食糧生産量の増加にめちゃくちゃ貢献した人としか認識してなかったけど、めちゃくちゃえげつない毒ガス作りまくって人殺しまくってたのを知ってわあ……となった。そして自分の読書メモを検索したら「フォン・ノイマンの哲学」にそのことが全部書いてあった

      • こういうことよくあります

    • 戦争中の研究者の倫理観終わりすぎてるやろと思うこと多いけどむしろ現代においては(「Science Fictions」みたいなこともあるとは言え)研究倫理の水準がだいぶレベル高く保たれてるのすごない??と思う。それによってイノベーションのスピードが鈍化したという側面はあるかもしれないけど、イノベーションと倫理を天秤にかけたうえでちゃんと倫理のベースを築けているの、ヒューマニズムだなぁと思う。それってたぶん科学だけじゃなくて広く人文学の領域の成果でもあるはずで、文系不要論の行き着く未来のどうしようもなさを実感する

環境科学者で『変貌する大地』の著者でもあるウィリアム・クロノンは、カーソンが主張する結論は筋が通らないと言う。「人類が地球上で自然に生きることを望むなら、残された唯一の道は、荒野のエデンでの狩猟採集生活に戻り、文明が私たちに与えてくれるほとんどすべてのものを捨てることだという結論にたどり着くのは難しくない。私たちが介入したことが原因で自然が死ぬのなら、自然を救うために残された唯一の道は、人類が滅びることしかない」。生物学者のI・L・ボールドウィンも同じような主張をしている。「現代農業、現代の公衆衛生、さらに現代文明は、自然本来の均衡への回帰に対する絶え間のない戦いなくしては存在しえなかった」。カーソンは、まったくそんなふうには考えず、実在しない世界にこだわり続けた。「原始的な農業が行われていた環境では、虫に悩まされることは少なかった」と彼女は書いているが、初期の農耕社会が虫によって媒介される病気や虫が原因の飢饉にしょっちゅう苦しめられていたという事実は省かれている。

禍いの科学 正義が愚行に変わるとき
  • 最近Twitterでこういうこと言ってる人見たな……

    • 「沈黙の春」のことも知ってるような知らないような微妙なかんじではあったけど読みやすくまとまっててよかった。文系にも読みやすくてわかりやすい「Invention and Innovation」ってかんじ

    • 倫理観もそうだけど、シンプルに病気とか食糧生産量とか虫とかのありとあらゆる領域において、”生きやすさ”はとんでもなくインフレしていると思う。ぼんやりと現代を生きにくい時代だな〜と感じている人間も、ほんの100年前に生まれていたとしたら今日や明日食べるものにも困っていたりして、おそらくそんな呑気なことは言っていられなかっただろう

    • だからといって現代を生きにくい人が甘えているとかそれが大した問題ではないとかそういうことではなくてね

    • なんだかんだで平均寿命や健康寿命が順調に伸びまくっているということは世界はどんどん良くなっていっているということなのかもしれない。ただ生きるだけなら、毎日ぼーっとしていてもある程度なんとかなってしまう。その先の”どう生きるか”についてまで悩めるぐらいに、現代人は豊かになったのだ

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