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映画ログ「ミッドサマー」

  • みた。以下ちょっとネタバレあり

    • ネット上の感想とか考察も見たけどクリスチャンのことみんなが言うほどクズだと思えなくてむしろ序盤とかは「やさしい彼氏だな~~~」ぐらいに思っちゃった

      • 自他の境界が明確にある彼氏とそうでないホルガ村という対比になっており自分はだいぶクリスチャン寄りの人間なのを自覚しているから、こんなに終始精神不安定な彼女にブチギレたりコケにしたりいいようにコントロールしようとしないなんていい奴でしかないだろという感想である

      • 最後のあれもあれを”浮気”とカウントして制裁されるのかわいそうすぎませんか!?いやべつに全面擁護したいほどクリスチャンのことキャラクターとして気に入っているとかそういうわけではないんだけど……”いたしかたないやろ”みたいな部分を差っ引いてもだいぶ軽薄な男なのはまちがいないと思うし……

      • でも軽薄男は軽薄男なりのやさしさでもって、他人に興味がないなりにまるく接しようとしているのを感じるのでそれを事なかれ主義とか流され体質とかゴミカスと断じるのにはものすごく抵抗がある。彼女に興味がないと男としてクズみたいなんやめたほうがいいって。仕方ないじゃん興味がないものはないんだから

    • 村の人たちが主人公といっしょに泣きわめいてるのこの映画のトロの部分だし現代社会では個人主義が隆盛をきわめていて他人の感情をコミュニティで共有しあうというようなことはしないけどそれをしてみたらこんなにみんなが家族にHAPPY END!!!みたいなことを言いたいのはわかる。わかるけど”お化け屋敷で自分以上に怖がってるやつがいると恐怖が冷める”みたいなあるあるについては(あえて?)言及されていなくてムーンとなった

      • それって人間としてわりと一般的な反応だと思うんだけどどういうメカニズムなのかも気になる。共感性羞恥とか観察者羞恥とかもそうだけどなんの得があって備わっている機能なのか。共感がそんなに社会を運営するうえで便利な機能なのだとしたら、なんであえてそれを捨てて個人主義にひた走っている人間がこんなにも多いのか

      • けっきょく共感には人間が生きやすくなって社会が円滑に回るだけではない、負の面がいっぱいあるよねというのがぐるぐる回って結論この映画の言いたいことなのかなとも感じた

      • それでいくと共感に値する感情とそうでないものとの区別がその社会自身によってだいぶ恣意的に決められていて狡猾だなぁと思った。ひとつの社会も、ひとりの人間も、意思決定のプロセスとかインセンティブにそれほど大差がないのであれば、それを個々人が好き勝手にドライブしたほうが最終的な幸福の総量は増えるはずで、だから個人主義がよしとされるんだろうな

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