読書ログ「フェルマーの最終定理」
読了
古代から近代に至るまでの様々な数学トピックスが山のように、一見断片的に盛り込まれており、そのひとつひとつがゴリゴリの文系にもわかりやすくかみ砕かれていながら、最終的にはそれらがすべてフェルマーの最終定理の解明に伏線回収されるという、あまりにもテクニカルな筆力にぶん殴られる。最高の読書体験だった
文系でも読めるとはききかじっていたけど、いうて難解な数式とかふつうに出てくるんでしょ……という猜疑心をぶち壊してくれる。たぶん中盤ぐらいまでは義務教育で習う程度の数学力があれば(すんなり理解できるかどうかは別として)読み通すことは可能
終盤はなんか急速に話が入れ子構造になりはじめてE系列とかM系列とか出てきてもうお手上げ。ちなみに元論文は130ページぐらいあるらしくて気絶
もちろん数学に強ければもっと内容を楽しむことができるんだろうけど、そうじゃなくても数学的な考え方というか、数学に強い人はどんなふうに思考したり、予想や定理といったものに挑んでいくのかについて、ほんの片鱗でも垣間見られるのが楽しかった
フェルマーの最終定理を解明することが役に立つかどうかと問われれば、もしかしたらなんの役にも立たないかもしれないのすごい。なぜなら1995年にワイルズが証明するまでは、それが間違っているか合っているかすらわからなかったわけだから
その定理が合っているか間違っているかわかっていない段階においては、それを解明しようという数学者たちの営みは社会の発展にはなんの影響も及ぼさなかったし、もしかしたら証明後もそこまで影響しないのかもしれない。なのに、ワイルズに限らず、過去から現在に至るまでのべ何百、何千、何万?という研究者がこの問題にかかりきりになり、お金と労力を費やしてきた
当然「それを解明しようとする過程で生まれた発見はなんらか社会の役に立ってるだろ」という見方はできるものの、フェルマーの最終定理そのものは1995年までの社会の発展になんら寄与していないのだ。それってなんというか、すごくいいなと思う。社会にとってなんの役にもたたない公式ひとつに、とんでもないコストと情熱がかたむけられたという事実に感動を覚える
もしかしたら、世の中には結果的に社会の役に立った学問があるだけで、そこは学問の本質ではないのかもしれない。結果的に社会の役に立った学問をした研究者も、「それが社会の役に立つだろう」がいちばんのモチベではなかったのかも。社会の役に立てようとか経済に寄与しようとかを意識するとScience Fictionsみたいなことに陥りがちというのもあるし
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