20241007
この土日はまるでそれなりの社会性を身につけた大人のような顔をして、やらなきゃいけないことを全部終わらせた。解放感がすごい
ほとんど苦行ではあったがやるべき(とされている)ことをやることで誰にも文句を言われずにあとは好きなことをしていられると考えるとこれは給与の発生しない労働であるとも言える。ただ自分の食い扶持さえ稼いでいれば誰に文句を言われる筋合いもないのと似ている。社会は金銭の授受だけで回っているわけではないということを思い出させてくれるという意味では必要な儀式なのかもしれない
みんなたとえ給与が発生しなくても利害関係がなくても、お前はそこにいていいのだよと言ってもらえるスペースを欲しがっているのかもしれない。こんな言い方をするとアレだけどたとえどれだけ能力が低くてもそれを理由に阻害されることはないというのは、なんらかの上振れた能力を持ち合わせていない人間にとっては安心感につながるし、子どもなんかは特にそういうスペースがないと生きていくこともままならないはずだ。たとえ年収が1億円あって一生食うに困らない億万長者であっても、それ以外の理由で存在意義を認められたいと思うのは自然なことだ
けどもう自分は、そういう場所もあればそりゃ有り難くはあるのだけど、それにかかるいろんなコストがもったいないと思ってしまうようになっている。そういう場所もなんだかんだで、なんの対価も払わずに居続けていい場所ではないからだ。対価などいらないという体になっているのはあくまでも金銭的な話であって、それ以外のこちらの数少ないリソースをゴリゴリに削ろうとしてくる”安心空間”に付き合っているのがアホらしくなってくる。そこを構成している全メンバーが安心を共有するためには、たぶん誰かが誰かよりもちょっとだけがんばったり、ちょっとだけサボったりしているはずだ。そこをがんばるだけの気力も、サボって居直るだけの豪胆さもなくなってしまった
自分はむしろ金銭の授受や利害関係があったほうが安心できる。お金をもらったり払ったりするのに明文化された契約書があると安心感があるのと同じように、ちゃんと自分は相手にメリットが提示できており、かつそれはお互い様であると感じられると、その関係性を手放し難くなる傾向にある気がする。安心空間の維持管理を任されるのはたとえお金をもらったとしてもちょっと嫌ではあるが、同調圧力が発生しようがない赤の他人などであればそれほど気にならないかもしれないな。きちんと成立しているビジネスの良さというのは、構成員の誰かが余分に持ち出すことを是としない真摯さにある気がする。それはもう単純に搾取なので
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