Florence Nightingaleについて
現代の看護の創始者
フローレンス・ナイチンゲール/クリミア戦争
(1820 - 1910)イギリス
私が調べているうちに驚いたことがあります。1つはナイチンゲールがかなりの裕福なお嬢様。そして数学を好きだったこと。病院と言うものも知るきっかけになったのが、ヴィクトリア朝時代の貴婦人には、貧しい人を訪ね、食物や薬を与える習慣があったそうです。そこで女性の死を目の当たりにして医療と言うもの初めて意識したそうです。上流階級のお嬢様が看護婦になるという事は両親にとってはとても恥ずかしいことだったらしいです。
私がナイチンゲールの本でとても読みたい本があります。それは出版されていません。ナイチンゲールが34歳の時に自伝的小説『カサンドラ』この本の中では、神からの啓示を実行するためにいくつもの結婚を断ったこと、看護婦へ反対する母、心の葛藤、さらに自殺願望があったらしい。その様なことが
赤裸々に綴られているそうです。ナイチンゲールを調べているときに、このような記述があったので、とてもカサンドラに興味を持ちました。その中でも神の声神からの啓示に興味があります。
ナイチンゲールの日記によると、ナイチンゲールは4回神の声を聞いたと書いてあります。
17歳の時、寝室で、キリストが、
「我に仕えよ!」(To My Service)
「仕える」(service)の意味がわからなかったらしく、24歳でやっとわかったそうです。
イギリス陸軍の野戦病院は、ガーゼも包帯もなく、看護師も医者もいなく、とても悲惨な状況でした。
それを深刻に受け止めた当時の国防相シドニー・ハーバート。彼は当時既に看護のエキスパートとして活躍していたナイチンゲールに従軍を依頼し、フローレンス・ナイチンゲールと38名の看護師は黒海の主要なキャンプ地へ派遣されました。
不衛生さに驚き、フローレンスは自力で清潔な部屋とシーツやベット、健康な食事、空気循環と水の流れ、廃棄物処理の改善、そして医療用品の増加に集中しました。自分のお金を使って改革をしたとも書いてありました。
そのおかげで軍事収容所の死亡率は急激に低下しました。なのでイギリスの人々は彼女を英雄として讃えました。
クリミア戦争で苦しんでる兵士を看護するときに、
オイルランプを持っていたため
「ランプを持つ女性」と呼ばれました。
ナイチンゲールがこの野戦病院で過ごした約2年間が、彼女の名声を決定づける最重要なポイント!
結果、
▫️1883年に王立赤十字授与
▫️1907年彼女は英国最高の民間勲章である功労勲章を受けた最初の女性。
しかし、
クリミアに駐留している間、ナイチンゲールは「クリミア熱」(現在ブルセラ症として知られている細菌感染症)を発症して残念ながら、回復はしませんでした。
ほとんど知られていませんが、彼女は残りの人生、何十年とベッドの中で過ごしたそうです。
それが私と同じ病気
筋痛性脳脊髄炎(ME)と慢性疲労症候群(CFS)
この病気は、たくさんある原因の中でも感染症も原因の1つとも言われております。ナイチンゲールの場合、彼女の生きてきた中では定義されていませんでしたが、慢性ブルセラ症感染症の結果としてME/CFSを発症したのではないかと言われています。
1854年、35歳から60歳まで、フローレンス・ナイチンゲールは胸の痛み、頭痛、急速な筋肉疲労、持続的な腰痛に苦しみました。
寝たきりになっているにもかかわらず、ナイチンゲールは亡くなるまで
看護職の推進と病院への規制変更のためのロビー活動に取り組み続けたそうです。
彼女は自宅で政府関係者と会い、看護改革を促進するために何千もの手紙を書いたそうです。
ランプで設計された看護ピンは、ナイチンゲールと看護の職業の彼女の進歩を称えるために世界中で一般的です。
看護師が卒業時に取る誓約は、医師のヒポクラテスの誓いに類似した「ナイチンゲール誓約」と呼ばれています。
1988年、博士バイロン・ハイドは、
カナダのMEとCFS財団を
ナイチンゲール研究財団と名付けました。
「障害は有用な生活の終わりを意味するものではありません - M.E.とCFSの多くの患者がフローレンス・ナイチンゲールの勇気と献身を象徴し、巨大な障害の下で生活し続けているので、私たちは財団ナイチンゲールと呼びました。」
ナイチンゲールの誕生日である5月12日
国際啓発デーに選ばれました。
ナイチンゲール財団ホームページを参考にさせていただきました。
私は知って欲しいから頑張るの。
私が頑張れば、これからの人が少しでも何かにつけて楽になっていければいいなって
それだけが私の希望。望みです。
私は仕事柄、コスプレでアメリカのレッドクロスやナースをしています。
コスプレと書いていますが、ヒストリカル、リエナクトとして、リスペクトして行ってます。
ナイチンゲールとの関係も不思議な縁を感じました。
赤十字はクララバートンですが、
アメリカに来るまでの歴史を調べては色々な繋がりを見つけては感動しています。
私も神様や仏様と会話をした事があります。
伝言をもらったり、予告されたり…不思議ですが
私の母は聖徳太子と会話をしました。
またそれはおいおい。