見出し画像

縁側のある家の景色


人生を変える瞬間ってその時はいまいちピンときていなくても、振り返ってみると、あれはそうだったなと思う瞬間がある。

うまく伝えられる自信はないが、思い切って今日は書いてみる。
私の根っこのようなものなので、読んでもらえたら恥ずかしいけれど嬉しい。


あのおばあちゃんと出会ったのは、田舎ではよくあるような昔ながらの古い家だった。

ガラガラっと昔ながらの引き戸の玄関を開けると、短い廊下がある。襖を開けると和室が続いており、奥には仏壇がある部屋もある。

1人で住むには大きい家。

部屋は南向きで日当たりもいい。縁側もあり、窓は全開になっている。縁側の先には、草が生えてはいるが、畑もできるほどの広さの庭もある。


この家に暮らす、ふくよかな体型の80代の女性。
ボサボサになった白髪や穴だらけの寝巻きとは裏腹に、ニコニコと愛想のよい笑顔。


女性は、新しいことが記憶できなくなっていた。認知症の診断を受け、もうすでに数年の時が過ぎている。

部屋のあちこちには、猫に餌をあげないと、と女性が準備したキャットフードが入ったお茶碗が置いてある。
しかし、どれも食べ終わってはいない状態で散らばっている。


大きな部屋の畳はささくれて茶色くなっていて、それを隠すように置いた座布団も綿がへたれて元の色がわからない程にくすんだ色をしており、座るのには少々の勇気がいる。

女性は、猫のことや、天気の話、最近の体調など、にこやかにいろんな会話をするが、数分後にはすっかりきれいに忘れてしまう。

垢の溜まった皮膚をかゆい、かゆい、と笑いながら掻いている。

女性の話はどこまでが本当で、どこからがそうでないのか。

「こっちへどうぞ」

と声をかけてくれるのは妹さんだ。

私がこの家を訪ねる日には、片道1時間以上かけて、これまた高齢の妹さんが同席してくれている。冬でも全開にされた窓は、匂いがこもらないようにという妹さんの気遣いだ。

妹さんから最近の状況など話を聞きはじめると、当の本人は庭に出て行って、ウロウロとネコを探している。

本人が飼い猫だと言っていた猫は、妹さんに聞けば、近所の野良らしい。

「ねこちゃん〜、ねこちゃん〜」とネコを探し続ける女性。

女性は庭に出てウロウロしているが、家の敷地を越えて、外へ出ることは決してない。
絶対に、外には出ない。
家という絶対の聖域の中のみでの暮らしなのだ。

絶対に。

徘徊しないのはいいけど、という妹さんだが、スーパーへ買い物へ行くこともなければ、家を出なければ銀行や病院に行くこともできない。何もできない姉をほっておくこともできず、頭を悩ます妹さんを尻目に、本人は淡々と暮らしている。

自分だけの時間軸で、自分の世界を、この家の中だけで当たり前のように暮らす。

外から人が来た時に、やっとそれが自分だけの基準だったと少し気づく。
でもすぐに忘れる。自分の世界に戻ってまたいつも通り暮らす。

同じことを繰り返し、繰り返し。

繰り返し、繰り返し。

繰り返したのか、繰り返していないのか。

もうなにもわからない。

ネコを探して、また繰り返し。



映画の世界みたいだな、と感じていた。
ただ日々の暮らしを送りつづける物語。

自分には介入できない。
するべきではないような気持ちにすらなる。

ああ、私はこの状況をどうにかしたいと思う気持ちより、この人がここでいかに安心して過ごせるかをサポートしたい。同じような人に、あなただけじゃない、みんな同じだよ、安心していいと伝えたい。


いいとか悪いとか評価をしたりされたり、
何かをジャッジしたがる世界だけれど、
本当は人生は誰もが自分だけのもので、いいも悪いも誰かがジャッジできるものではないと思っている。

最後の時も同じで、こうやって死ぬのがよい、これは悪いなどというのはナンセンスだと思う。

人の数だけ、その人が過ごす時間がある。
職業柄、そういう時間に少し人より多く触れてきたと思う。

在宅医療で言われる「DoingではなくBeing」はどうすれば叶うのか。

40を過ぎやっとほんのすこしだけわかったことは、年をとるというのはとても不安だ。
できないことが増える。
こんなはずじゃなかったが増える。

下り坂の先の終わり。
人生が永遠でないことを感じ始める。

不安というのは、形がないから余計に大きくなっていく。

だったら、いろんな人のいろんな選択、人生、時間を伝えさせてもらえないだろうかと思う。ネガティブな思いは、無理にポジティブにする必要もなく、ただそれとして受け止める術が欲しい。

そして、それは薬ではないんじゃないか。
動画(ドキュメンタリー)なら、それができるんじゃないだろうか。

大切な人との時間、誰かの大切な時間、暮らし、生き様、ことば、その人がいる空間。そこにあるもの。

じいちゃん、ばあちゃん、
父さん、母さん、
おっちゃん、おばちゃん。


もし最後まで読んでくれた誰かがいてくれるなら、ぜひ今日は思い浮かべた大切な人と他愛ない話をすることをおすすめしたい。

そんな時間の積み重ねが、あなたの最後の時をきっと優しいものにしてくれるはずと信じて、これからの活動を進めていきたいと思います。


いいなと思ったら応援しよう!