3人目の母
母シリーズ、最後は、幼少期に他界した産みの母。
物心つく前なので、私が4歳?5歳?くらいの時だったようだ。当時は治療できなかった血液の病気だったらしい。
とりあえず、めっちゃ美人で、性格が良くて、頭が良かったらしい。笑
結果的にいつもそばにいる人
父が再婚した母を思ってか、思い出がつらかったのか、真相はわからないけれど、家には古い写真は一枚もなかった。
なので、母の顔を見たことはない。
ただ、みんなが産みの母を褒めまくっていた。
そして、みんながおかあさんはいつも見てるよ!見守ってるよ!と言うので、困ったときは、心の中で「おかあさんが見てくれてる!絶対、大丈夫!」と信じていた。
その甲斐あってか、なにかと本番に強かった。
書いていて気づいてしまったが、軽い洗脳である。笑
怒りもしない、反対もしない。
美人で、優しくて、賢いおかあさん。
誰よりもずっと心の中に居続けている人。
みんなのおかげで最大限のいい妄想をしてこれたと思う。
その先にあるもの
こうして、ずっと母がそばにいてくれると思って育ってこれたことは本当によかった。
写真ではなく、亡くなった母との関係をこんな形で残してくれて、父と母には感謝しかない。
今のようにスマホがあったら、写真が残っていたら。。。
私はこんなふうに想像の世界で、自分に都合のいい母像を作ってこなかったんじゃないだろうか。
想像したり、妄想したり。
全部が決まっていないことは、優しさでもある。
私たちは、写真や動画がその時だけでなく、時空を超えることを考えてもいいのかもしれない。
見る人が自由に感じる余白のある動画。
そういうものを意識していたい。