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そうだ、実家へかえろう。


2024年の年末。
我が家はインフルエンザで全滅していました。。。

クリスマス、大晦日、お正月。
ずっと誰かが寝込んで、咳き込んでいる。

そんな悲惨な年明けを必死で盛り上げてくれようとしたのは、なんと遠方にすむ実家の両親でした。自分が親として奮闘している時は忘れてしまいがちだけれど、親と接すると、いつまで経っても子供として扱われます。

「親の立場の自分」と「子の立場の自分」。

普段、親であることの意味なんて考えないけれど、親と子の関係って、当たり前に成立することではなく、親と子の双方向への思いやりで成り立っているのかもしれない、なんて思ったりしました。


そもそもの犯人は私


もうすぐ子供達も終業式だという週末。

朝、長男を野球に送る道中で、気づく。体はだるいし、頭がぼーっとする。おかしいぞ。家に帰って熱を測ると、案の定の38.1度だった。

夫が仕事の帰りに買ってきてくれた検査キットの結果は、思ったとおり、インフルエンザ。

さあ、これからです

どこでもらったんだろう、などと考えても思い当たる場所だらけで、もうそんなことはどうでも良かった。

大人になってからの熱は、なかなかしんどくて、何もできない。咳もひどく、咳のしすぎで、咳と一緒に胃が出てくるんじゃないかと思った。
病院行って薬をもらうという選択肢もあったが、インフルエンザとわかったら、外出するのも、診察を待つのも、全てがめんどくさくて、寝てれば治るから、と、とにかく寝まくった。


インフル劇場はさらに続く

3日くらい熱で何もできなかったが、やっと熱が下がってきて、クリスマスには間に合った!と思っていたら、サンタが来た日の午後、長男が発熱した。

クリスマスの魔法は一瞬


これはもう検査しなくとも、わかる。
はい、インフルエンザ。

26日から5日間の隔離期間を数えると、大晦日がくる。

我が家は、お正月は私の実家へ行くのだが、帰るか、断念するか。。。悩ましい。

とりあえず、実家に状況を連絡すると、31日でもいいから帰っておいでよ、という。その言葉を聞くと、余計に決断できなくなり「様子見ながら、また連絡するわ」と電話を切った。

その翌日、長男の熱はスッと下がった。

私なんて3日も動けなかった上に、熱が下がっても咳が止まらず、ずっと不調が続いているというのに。子供の体力すごいな、とびっくりした。羨ましすぎる。
そして、これなら帰省できるかな、と思い始めていた。

油断していた29日。
次男、発熱。

はい、インフルエンザ。

今年は帰省は断念だ。


インフル被害は、うちだけじゃなかった

次男が発熱した日。
「今年は帰れない」
と、次男が発熱した旨を家族LINEに入れた。

母と父が、
「しょうがないよ。体が一番だから、お大事に」と返信をくれた。

翌日、妹が
「うちも子供がインフルになった。今年は帰れない」
と打った。

父と母が、私の時と同じように
「了解!頑張って。お大事に」と返信を入れた。

というわけで、正月を目前に、弟家族以外の、うちの家族4人と妹家族5人の計9人が、帰省のキャンセルを申し出る事態になった。


父の正月への意気込み

実を言うと、父は昨年夏が終わるころから体調不良が続き、病院で検査を受ける日が続いた。
年末までには、体調もずいぶんと落ち着いていたが、今年一年で健康への自信が打ち砕かれて、気持ち的にも少し弱気になっている様子であった。

まだ元気でいられるだろう!と言う気持ちと、老いには勝てない、と言う気持ちが、せめぎ合っているように感じられた。

父。
(そっくり)

そんな父の今の趣味は、みんなに料理を振る舞うこと。

ご飯を食べて、みんなが美味しい!といい、お酒を飲んで、楽しい!といってくれることを、何よりの喜びにしている。
人をもてなすことが大好物なのだ。

お正月は、まさにその集大成。
今年は、きっと、いつも以上に気合いを入れて、日頃は会えない子供達、孫たちに美味しいものを作ってやるぞ、と意気揚々と準備していたに違いない。

私も昨年の父の様子を見ていたので、父のお正月への思い入れが痛いくらいわかるし、今年は帰らないとな、と思っていたので、この帰れない状況は心苦しかった。

しかし、インフルエンザはインフルエンザだ。
両親のお土産にするには、悪ふざけが過ぎる。

病気とは、本当に残酷だ。


そんな申し訳なさを感じているのを知ってか知らずか、翌日には、両親からLINEがきた。

「みんなと食べる予定やった食料、送れそうなものは送りますー!看病、頑張って。こっちは、大丈夫です。みんな早く良くなりますように。」

いやいや、こっちは大丈夫、って。
きっと妹の家にも同じものを送るのだろう。
大量の食材も、大荷物を送る送料も、たくさん無駄なお金使わせているはずなのに。

優しくされれば、されるほど、心苦しい。


届いた大量の食料と親ごころ


と言うわけで、後日、大量の食料が届いた。

母が言っていたように、大量の餅が、丁寧にジップロックに整列して、冷凍されていた。
餅だけじゃなく、肉や田舎の野菜、なぜか近所の洋菓子店のお菓子まで入っていた。わざわざ買いに行ったんか。

餅にしたって、日本であれば、スーパーで大量に売っている。
一緒に入ってたあんころ餅なんて、冷凍されると見た目が悪すぎて、夫が一瞬ギョッ!となっていたのを私は見逃さなかった。それくらい不恰好な餅をわざわざ送ってきた。

あんころ餅(父作)


肉だって野菜だって、お金出せば買うことはできるのは、みんな知っている。
でも、ダンボールには「インフルで家にこもっている娘家族に正月らしい食べ物を届けたい」というお金では買えない親の気持ちが、むせかえるほどに溢れかえっていた。

娘と言っても、私も妹もアラフォー世代なのに。

こんなおばさんたちを、子供のために!と、荷造りして食材を送ってくる親。自分も歳をとったな、と思う場面が年々増えていく中で、親と子の関係ってずっと同じなのか、と改めて思った。

ただ少しずつ変わってきてるなと思うのは、親より自分の方が要領よくできるなと思うことが少しずつ増えてきたこと。

わざわざ、、、と思うことを、精一杯やってる。
それは、親たちがとる方法が正解かどうかということより、彼らが大切なものを大切にできている、という満足が大事なのかもしれない。


思い返せば、大学で一人暮らしを始めたあの頃から、ずっと遠方で暮らしてきた私に、親は何かと言うと、食料品が詰まったダンボールを送ってきた。

1人で熱でうなされてたとき、試験勉強で心折れそうになってたとき、仕事始めて全然家に帰れなかったとき、子供産んで右も左もわからず途方に暮れてたとき。

親の中では、娘が18のあの時の変わらない気持ちのまま、ずっとダンボールに食料品を詰めているのだろう。


彼らの中で私はずっと子供で、彼らはずっと親。


親が親であるために、私ができること


親から見えてる景色は、どんなだろう


親は自分が歳とっても、親は親でいてくれるのか、と思ったのと同時に、「ああ、これからだんだんと、この関係が逆転してしまうんだろうな」という、どこかさみしい気持ちもあった。

病気になったり体が動かなくなったり、認知症で色々なことがわからなくなったり。。。親だけでは、できないことが増えることで、我々子供が、主導権を持って色々な判断をする日がやってくる。


その時、今までの親の立場と子供の立場がもっと大きくひっくり返る。
親が親という役割を手放すときを想像すると、なんだか、悲しく、寂しい瞬間だ。
ただでさえ、老いる過程で、彼らはたくさんの役割を手放しているはずだ。


年老いていく両親に、私ができることは、何か。
老いを止めることも、病気を治すことも、毎日一緒に暮らすこともできない。
でも、彼らの「子供」であり続けることは、できるだろう。

ダンボールの不格好さを愛おしく思い、無駄を問い詰めるのではなく、送ってくれた気持ちに「ありがとう」と言っていたい。



近いうちに、父のおもてなしを受けに、子供を連れてまた実家へ帰ろう。
だって、家に帰るのは、お正月じゃなくてもいいのだから。








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