本気で練習に取り組んでいるのだろうか?
野球で監督やコーチ、もしくは自分の子供を指導している人なら感じた事があるのではないでしょうか。「この選手は本当に本気で野球をやっているのか。」と。
私が野球でコーチングを始めた頃に感じた、選手と自身との距離間…。
…よって生まれる、疑い。
「この選手は本気で野球に取り組んでいるのか」「私たちがみていない所でサボっているのではないか」「本気でやっているように見せているだけで本当は流しているだけではないのか。」
といったように疑ってしまう。
これに対してどう対応するべきとかは置いておくとして、今回は数値化できない事象、選手たちの本気度は見えるという事について話します。
私が高校のチームの選手たちのコーチングを行っていた時の話です。そのチームはある程度レギュラーが決まっており、ピッチャーは○○君、ファーストは〇〇君、センターは〇〇君といった感じでほぼほぼ固定のメンバーが定着していました。
しかしある大会前の月にそこで私が教えていた選手がエースを奪いました。そのチームは前月、前々月の練習試合の成績を主体に大会のメンバーを決めていくチームでした。成績で決めるといっても成績を残すのも主にレギュラーのメンバーばかりでした。
私の教えていた選手は中学は軟式出身でチームでは主に二番手で投げていた選手でした。エースの子は中学からシニアで野球をやっていて、軟式出身の彼に比べて球も早く変化球も多彩、非常に優れた投手だと私も感じていました。
そんなエースを抜いたんです。
エースを奪った時は大会前の背番号を順番に渡している時にわかったんですが、誰がエースになるか周りの選手は分かっていたと思います。
「いつもと雰囲気が違う」
「この数ヶ月、冬の間どれだけのトレーニングをしてきたか…お前らとは違う。」というオーラがその選手から滲みでていたんです。
指導者の方や親御さんなどの大人の方達は経験した事があるのではないでしょうか。昔はよく一緒に遊んでいたのに少し合わない間に成長しすぎて近寄りがたい存在になった奴がいる、なんて事は。
その感覚がたった一冬、数ヶ月の間で目の前で起きたんです。先に言っておくと私はスピリチュアルなどといった類に興味はありません。
ライブに行った事がある人はこの経験をした事があると思います。その場で立ち止まって動けなくなるという経験を。ライブがスタートした次の瞬間にライブの空気感に一気に呑まれる。それは歌がうまいとか歌手の顔がいいとかは関係なくその中心にいる人間に吸い込まれるように目がいくんです。
そこからは念が伝わってくる。
美術館もよく似ています。時々立ち止まって動けなる作品。この作品は一体なんなんだという作品が。ピカソやゴッホが書いた絵は上手いんでしょうが、「何を書いているかわからない」というのが一般的な感想じゃないでしょうか。
しかし見れば見るほど、線一本一本が目につき出します。そして思いが運ぶんです。どんな場所で、どんな風に、どんな生活をしながら、どういった感情でこの作品を書いていたのか。
その瞬間に動けなる。
それは作品に込められた作家の念の類が透けて見えているのではないでしょうか。それは人を釘付けにしている。なぜかあいつに一歩及ばない、なぜかあいつに勝てない。念が入っていない。守備も悪くない、バッティングもそこそこ、小技もできる。
しかし、何か足りない。念が足りていない。同じ練習をしているしあいつはエースで自分は二番手。念がこもっていないから。野球にかける思いの無さがこのくらいでいいかという甘えが相手に透けて見えている。
練習はしっかりと行い自主練習もする、ライバルの良いところは積極的に盗み、自分自身の捨てるべきものと伸ばすべき長所の判断ができる。そういった選手がレギュラー、エースに選ばれます。
なぜなら。
その選手がする練習に、野球にかけた時間が。野球にかけた愛情や情熱。念の類が。見えるんです。その練習が理にかなっていなくても。
監督や指導者からすれば、この選手を使いたい、この選手をレギュラーで出させたい、この選手をエースにしたい。この選手なら成長できるといった未来を監督や指導者、そして周りの選手達にも見せるんです。
これは強いチームに行けば行くほど顕著に現れてきます。強豪チームの監督や指導者も昔は選手だったんです。監督をやって数十年。野球を続けて数十年といったように指導者としてプロ、一流なんです。そんな人たちが指導している。そんな監督からすれば練習の本気度は筒抜けで片手間でやっていたことなんかはすぐにバレる。僧侶の方で例えると、金のためにやっている人と人の為にやっている人の態度が違うように。
自分が野球を極めたい。強いチームでエースになりたいと思うなら最後の最後まで絶対に手を抜いては行けない。かけた思いは伝わるしサボった弱さも見透かされます。
相手が強い選手であればあるほど見透かされる。
野球を見たことしかない人、実際にレギュラー争いに真剣に向き合った事がない人、強いチームでもないにもかかわらずレギュラーを張っていたことで自分を強者と勘違いしている者。
そんな選手に限って、わざわざ周りの選手のプレーに対し、その選手がやりたいことの反対の意見を言う。その知ったかぶったなんの知識かわからないワードの羅列を並べれば並べるほど相手を指導したいわけではなく、自分の威厳を示したいだけ、自分の立場を確固たるものにしたいだけと言うのが見透かされるんです。
詰まるところ何が言いたいかと言うと現実は結構シビアで、大体これくらいでいいかぱっと見しっかり練習できていて周りから遜色がない、だから良い。じゃない。
その道の一流の選手や監督、指導者にはそこにかけた思いはバレている。その瞬間この選手はそういう練習をするんだねと思われれば、一気に信用は落ちるし二度目がない。
二度目があるのは本気で取り組んだ残すは技術だけという人。多くの人は先に技術を求めすぎて中身が伴っていない。確かに偽物でもやっていける期間はある。あるけどその先でその過ごして期間を完全否定してくる壁に必ずぶつかる。
その壁を越えなきゃ上には行けない。その時が一流、本物にならなければいけない時。そこで上部だけじゃ通用しないと言われみんな辞めていく。もう一度0から学ぶことを皆、放棄する。
そこでやるかやらないかがその人の分水嶺、分岐点となっている。偽物の期間は想像する以上に辛い。しかし本物になれば一気に楽になる。
サボったかはどうかは相手にも自分にもバレている。
自分にも
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