【まとめ】少年野球の問題は哀しい大人たちの問題だ(1)
この【まとめ】は、2023年~2024年にかけて書いた記事だが、2025年を迎えようという今も、残念ながら状況はあまり変わっていないようだ。
早くこの記事が古くさく感じるようになってほしいものだが、とりあえず、少年野球(学童野球)の活動で何かもやもやとした思いを抱えている保護者の方や、心ある指導者の方に少しでも参考になればと願ってしばらく掲載を続けることにする。
私はこれまで、少年野球(学童野球)の問題は大人たちの問題だと発信してきた。己の日常に満足できない大人たちが、その鬱憤を晴らす場として少年野球を利用してしまったからだ。
それは暗黙の了解としてこれまで受け入れられて来たし、それが合わない人は去ることで大きな衝突を免れ・・・と同時に大きな変革がなされることもなく、チームは同じ価値観を共有できる仲間によって「まぁまぁ」「ここはひとつ」という馴れ合いとごまかしでギリギリの所を綱渡りしてきた。
それが今、大きな転換点を迎えようとしている。
コロナ禍により、我々はこれまで体験したことのない取捨選択を迫られた。生きていく上でどうしても必要な活動とは何か、本当に会いたい人は誰か、自分にとって大切なことは何か・・・そうした本質的な問いに多くの人が向き合ったのだ。
その過程で様々な争いや分断も生じたが、それ以上に顕著になったのは、人も組織も、これまで「なんとなくスルーされてきた悪」をハッキリと「問題点」として認識し、それらを見直そうという動きではなかっただろうか。
「なんとなくスルーされてきた悪」は、それを上手く利用できる人たちによって支えられ、引き継がれてきた。そしてそれらに疑問を感じて正そうとした人たちは「嫌ならこのコミュニティから去れ」と排除されてきた。
特に芸能界(ジャニーズ事務所・歌舞伎・宝塚歌劇団etc)やスポーツ界は、厳しい上下関係や理不尽な経験さえも「糧」となると信じ込まされてきた。結果としていじめやハラスメント・・・もはや犯罪(と呼べるようなもの)までが「伝統」という言い訳の下に手つかずにされてきたことは、間違いなく異常だったと言える。
そうした「なんとなくスルーされてきた悪」に「少年野球界」もいよいよ向き合わなければならない時が来たのだ。