【まとめ】少年野球の問題は哀しい大人たちの問題だ(6)
では、「身勝手な大人たちの快楽主義」によって子どもたちが犠牲になっているのは少年野球の世界だけだろうか。
もちろんそんなことはない。子どもの習い事の現場はどこも同じような問題を抱えているはずだ。剣道クラブでは誰が団体戦の主将をやるかで一喜一憂しているだろうし、小さなバレエ教室だって発表会で誰が主役をやるかでピリピリしているだろう。
チームスポーツだろうが個人競技だろうが武道だろうが芸術だろうが勉強だろうが、習い事をしたばかりに大人たちの身勝手な快楽主義の犠牲になってしまった子は世の中にあふれている。
にもかかわらず、こうした話題になると少年野球(学童野球)が真っ先に取り上げられるのは、やはり野球という国民的スポーツの人気がかつてにくらべ著しく低下し、競技人口の減少に歯止めがかからない現状が素人目にも分かりやすいからだろう。
それでもWBCなどで盛り上がると定期的に人気回復するのだが、多くの親はわが子が「野球チームに入りたい!」と目を輝かせて頼み込んできてもまず躊躇する。毎週末の拘束、タイパの悪い練習、係やお当番、チームの古い伝統、人間関係など、ちょっと考えただけでもうんざりすることばかりで、理知的な親ほど簡単にはOKしない。野球界はもはや「古臭い世界」として世間に認知されてしまったのだ。
参考までに、2023年に神奈川県で開かれたとある高学年の大会資料を確認してみたところ、6年生が9人以上選手登録されているのは参加18チーム中7チームだけであった。私はむしろ7チームもあるのかと驚いたぐらいだが、これを見ただけでも各学年だけでチームを作ることが難しくなっているのが分かる。
また野球部がない中学校、あっても人数がそろわず苦慮している中学校の話もよく聞くようになった。今後も野球人口が右肩上がりに増える見込みはなく、むしろ減っていく未来の方が現実味がある。
そうした現状をさらに悪化させるのは、「合わない人間が去る」という一見合理的で「大人」な解決策である。チームで何か問題が起きても、同調圧力に耐えかねたマトモな親子の方が去ってしまうので、結果同じ価値観の人間だけで活動することになり、ますます古くさい閉鎖的な世界になってしまうのだ。
そして「常識外れの集団」と認知されるようになり、地域からの締め出しにあったり、執拗なクレームを受けるようになる。子どもたちが思い切り野球ができる場所はどんどん限られていってしまう。
また学校関係者からは「野球チームに入っている親子が、その人間関係を教室に持ち込むのに辟易している」という話を良く聞く。つまり私たちは一般社会から「うんざりされている存在」だということも、しっかりと認識なければならない。
では、こうしたたくさんの問題を抱えた少年野球(学童野球)の現場は、今後どのように改革していけば良いのだろうか。