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【まとめ】少年野球の問題は哀しい大人たちの問題だ(5)

 少年野球を取り巻く大人の問題は、チームの指導者や保護者に限ったことではない。審判や大会運営者のコミュニティにも大きな問題がある。

 その一つに、若い後継者が現れないことがあげられる。
 後継者が現れない原因の一つは、彼らの排他的なコミュニティにある。
 若い人(といっても40代)が入っても、気難しくプライドの高い高齢者たちのコミュニティに居場所を作れずすぐに去ってしまうのだ。

 特に審判は「自分のさじ加減一つで勝敗を左右できる」という優越感とプライドを持った高齢者が多いうえ、10年~20年のキャリアを持つ人も多い。「気心が知れた」という以上の腐れ縁や持ちつもたれつの関係ができあがったコミュニティでは甘えや忖度もうまれ、恣意的なジャッジをしても「ああ、あの人はあのチームと犬猿の仲だから仕方ない」と容認される土壌ができあがってしまっているのだ。
 さらに監督やコーチも「審判を敵に回しては損をする」とぺこぺこ頭を下げるし、子どもたちにも「礼儀正しくしろ」ときつく言うからますます彼らは勘違いする。

 もちろん全ての審判がそうではない。しかし常識的な人ほど馴染めずに去ってしまったり、隅っこで小さくなっていることが多いのはどのコミュニティでも同じだ。わが物顔で横柄な中心人物は、そうした状況に「早く若い人が入ってきてくれないと・・・」と困って見せてはいるが、内心では「今の若い世代はどうしようもない」と年功序列の意識を強く持ち、自分たちが隅に追いやられる世代交代など本気で望んではいない。

 こうした閉じられたコミュニティ・・・甘えを許し許される人間関係を基とするコミュニティが少年野球のすぐ側にあることは、少年野球が時代から取り残されることに一役かってしまっている。
「結局、少年野球の現場はこの程度でいいのだ」という印象を、若い世代の指導者や親たちに与えてしまうのだ。

 なぜなら公正を期すべき審判でさえ、感情や人間関係でジャッジしても看過されるのだ。だとすれば監督やコーチの采配も、メンバー決定も、褒めるも叱るも、少年野球の活動全てが上に立つ大人の好みや機嫌、人間関係に左右されるものであり、そうやって楽しむものなのだと認識してしまう。

 こうした環境に身を置いてしまえば、若くて志高い指導者も、何も知らずに飛び込んできた親子も徐々に朱に交わって赤くなってゆく。そしてとんでもなく身勝手な古い世代が側にいるおかげで「自分はあの人たちに比べたら全然マトモだ」と安堵してしまい、自分たちは正義の側だと勘違いしたまま染まってゆく。そして数年後には、自分も同じ土俵に立って幼稚な覇権争いを始めるのだ。

 このようにして少年野球(学童野球)の世界は、チームの指導者・保護者・さらには審判や大会運営者も含めた大人たちが互いに身勝手な快楽主義を許し合い、高めあって(笑)ここまで来てしまったのである。



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