東日本大震災の日 #2(韓国人の視点)
3.当時のあの瞬間
6年生だった私ですがあの時の瞬間を鮮明に覚えています。
あれこそ人生1、命の危機を感じた瞬間でした。
14:46はまだ授業中でした。
担任の先生が日本語の授業をしてくれていた時です。
地震はほとんどが少しずつ大きくなっていくようなものだと私は思っています。
ですが震災はいきなり大きな揺れから始まり、まっすぐ立つのは困難なほど大きくなりました。
地震が始まって3秒ほどで先生が「机の下に隠れなさい!」と叫びました。
あまり叫ばないというか大きな声を出さない先生だったため私はそれにも驚きました。
私の学校は少人数で6年生の頃の学級生は全員で5人でした。
一人ずつの行動を覚えています。
私は周りの同級生達が机に隠れているのか確認するだけでした。
一人は怯えながら神頼みしている子がいました。
人間目の前に頼れる親や家族がいなかった場合もう神頼みするしかないんでしょう。
一人は水槽が倒れた!と叫んでいてもうパニック状態。
一人は怯えている子を支えてあげていました。
6年生だった頃の私はこれは本当に死ぬんじゃないか?と思いました。
体のそこからなにか湧き出てきそうな感覚で鳥肌が立ち、足が震えていました。
たった一言本能のままに出た言葉が「先生。これ逃げなきゃいけないですよね?」
自分で判断できないのでこの時の私は先生に頼るしかなかったんです。
「そうだな。みんな頑張って先生についてきて!逃げるよ!5人で手を繋いで!絶対離しちゃだめだよ!」と言いながら先生は横開きのドアを思いっきり開け、私達の逃げ道を確保してくれました。
この瞬間地震が一度収まりました。
校舎の2階にいた私は先頭を走ったのですが、教室を出て右の階段を行こうとしたら先生が「待って!そっちの階段はひび割れが多いかもしれないから逆の階段から一階に向かいなさい!」と言いました。
昔から学校の先生をしていた担任の先生はその危険さを知っていました。
今思うと階段を直すお金すら学校には無かったんだとわかります。
先生の言いつけ通り右ではなく、左の階段から私達は降りていきました。
左の階段は遠くこの時右のほうが良かったんじゃないかと少し後悔しながら一階へ向かったその瞬間、私は衝撃を覚えました。
先生の言いつけを守ってよかったと思ったんです。
一階に降りて最初に見えたのは出口とその隣にある倒れた教員室の壁でした。
左の階段 出口 教員室 右の階段 (今ここ) (壁が壊れていて危ない。)
という状況でした。
この時右の階段に行かなくて良かったという気持ちを覚えています。
そしてこの瞬間二回目の大きな地震がきました。
どうにか上履きのまま外に出ることができた私でしたが外に出て、またもや衝撃を受けます。
4階建ての私達の校舎がプリンのように揺れていたのです。
これは本当に現実なのかと錯覚するくらい揺れていて校舎が倒れる可能性も考えた先生は「もっと遠くへ逃げなさい!走って!運動場へ逃げなさい!」とまた叫びました。
その後からの記憶はパニックだったためあいまいになっていますが、運動場で揺れが収まるまで怯えていたのだけは覚えています。
誰かは覚えていませんが学校の中学生の先輩が隣にいてくれたのだけは覚えています。
続きはまた次回書きます。
読んでいただきありがとうございます!