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離婚を経て「愛」の認識がアップデートされました

引っ越しも離婚後の処理も未完了な今だけど
とある愛にあふれたnoteを読んでいたら、わたしも愛があふれてきてどうしてもエモい気分になってしまったので一旦発散します。笑

(諸々が落ち着いて気が向いたら丁寧に書き直すかもしれないし、しないかもしれない。未来のことはもはや自分にはわからない。)


愛は永遠の探究テーマ。

最近のわたしにとっては、すべてが愛。
世界は愛で構成されている。

その気になればこれをもう少しロジカルに説明もできるけど、
いまはただ内側に起こる静かな愛を味わっていたい。
このnoteはわたしのために書くからそれでいい。

(というわけで、読みやすさガン無視するのでお許しください。)

以前の認識は以下noteにて。


近況として、ひとつまた大きな山を越えました。

渦中にいるとわからない周囲からの愛は
いつもそばでわたしを支えてくれていた。

ひとりで頑張らなくてはならないとき
外界とのコンタクトが遮断される。

会いたい人に会いたいタイミングで会うことも叶わない。
見えない世界の調整が入り、ことごとく都合が合わない。
逆に奇跡的すぎる確率で、いつもと違うパターンが起きる。

そんなとき、この世界が仮想現実であることを思い知る。

設定にないルートへコントロールしようとするとうまくいかない。
願いを握りながら最善の努力をしつつ、あとは委ねるしかないのだ。

逆に、委ねてしまえばすべてがスムーズに動き出す。
会うべき人との縁が繋がれてゆき、拡大していく。
手に取るべきものも自然とやってくる。

それをありがたく受け取り、離れるときがきたら抵抗せず手放す。
(実は離婚の直感が浮かんだときは全力で抵抗したけど、思いつくすべてのルートを試してもうまくいかなかった)

身に起こることすべてに意味があるかどうかはわからない。

でも繋がっていった縁にはいつも意味があった。
過去を振り返ると確かだった。
数年単位の時間差でわかることもある。

それが腹落ちしてくると
流れに身を委ねることへの恐れがちいさくなっていく。

物理的に生きる人間なので、不安をゼロにすることはできないが
一時的に不安定になっても自力で回帰できる速度が上がった。


そんなわたしの本性は、とんでもなくわがままな女だ。
わがままは罪だとおもって長年生きてきた。

だけど、わたしの大好きな人たちは
わがままなわたしのことも
「わがままだな~笑」「やっちゃんらしいな~笑」と
笑いながら受け止めてくれる。

でも私に問題があったときは勇気を出してぶつかってくれる人もいる。
人と向き合うのは痛みを伴うし、とてもエネルギーを使うこと。
効率重視なら放っておくのが楽だし、無視しておけばいつかは過ぎ去る。

それでも正面からぶつかってくれる人が過去たくさんいた。
こんなにありがたいことがあるだろうか。
(そのありがたみはすぐには気づけなかったけど)


子どものころを振り返ると、わたしは人の目を見るのが怖かった。
小学生の頃は、首が痛くなってもずっとうつむいて過ごしていた。

大学生か社会人のはじめ数年くらいまで、誰かがクスクス笑えば自分が笑われていると錯覚した。悪口を言う人を見れば自分のことを言われているように錯覚した。

安心できる居場所がどこにもなかった。
だからたったひとりの人間(元夫)に依存して生きてきた。

でも今年に入ってから、その生き方をやめるよう、
見えない世界から調整が入った。

心の中の闇が一斉に外へ排出されていく。
長年抑圧してきた感情や見ないようにしてきた自分の闇がドロドロと外へ。
「良い人間」を演じるのはやめろ、と世界が言っているようだった。

渦中はほんとに苦しくて、死ぬほどつらくて、とても人に見せられる状態ではなかった。

そんな状態の自分が許せなくて、自分の内側の闇とひたすら向き合うことでようやくそれも(たぶん)卒業した。
そしてわたしは「自分らしさ」を取り戻した。

自分らしく生きなおす過程で
離婚もしたし息子も前の家に置いてきてしまった。

けど、元夫とは良好な関係を維持したままで
幸いにもすぐに元夫には新しいパートナーとのご縁があった。
息子のことも可愛がってくれる女性らしい。

来月で5歳になる息子は、ずっと泣いていたわたしに
「パパがいるから僕は大丈夫だよ」と言ってくれた。
引っ越しの前日には急に思い立ったように花を贈ってくれた。
(途中まではわたしが家を出ることに怒って「ママうんこ」とか「ママきらい」とか言ってきてたのに…笑)


わたしはいわゆる「良い母親」ではないかもしれない。
自分の母がわたしにしてくれたようには、息子を育てることができなかった。
わたしには自分を犠牲にしてまでは、息子を最優先にし続けることができなかった。

正当化しきれない選択だけど、自分の中では納得して決断をした。
わたしが幸せでいることが最終的に息子の幸せに繋がると信じている。

元夫や息子を幸せにしようと必死に努力していたころの私も
それなりに幸せだったけど、
いま体感している心から震えるような
本質的な幸せとはまた異なる幸せだった。

いまだってまだ少しこわい。
息子に恨まれてもおかしくない決断をしたのに、息子に嫌われたくない。

でもわたしは、自分が命をかけて生んだ息子を信じている。
彼には自分で自分を幸せにする力が備わっている。
ありのままで生きていれば、みんなに愛される才能を持った子だ。

親子といえど他人。子は親の所有物ではない。独立した個人。
境界線を引いたうえで関われないと、どちらも苦しくなる。

対人支援者として色々な勉強をしつつ実際に実践をしてきて
ほんとうにそうだと心から思っている。


ここからまた色々なことがきっと起きていく。
でも自分の幸せが誰かの幸せになるように努めながら
これからも矛盾を抱えて生きていく。


これまでのご縁に心からの感謝を。
ご縁のあったみなさまがどうか健やかでいられますように。


それから、
片道3時間かけて部屋に荷物を運搬してくれた元夫、ありがとう。
大学時代で付き合い始めてからずっと観察してきて、ドライすぎるし、頭の中ナチュラル宇宙で何考えてるのか一生わかんなかったけど、変な嘘つかないし、家族を優先してくれるし、息子の世話うまいし、いいやつだった。

いま思えばずっとありのままで生きてるだけだったのかもしれない。
わたしが無理やり変えようとしてしまってごめんね。
悔しいが、過去わたしが元夫にキレてきた色々は、すべてわたしの内面の投影でしかなかった。それを受け容れたら自己一致が進んだ。

離れてみてようやくちょっとだけわかったような気もするけど
たぶんわかってない。人間は奥深い…!

「自由に生きなよ」って言ってくれてありがとう。

直接言うとたぶん得意げに鼻で笑われて腹立つので、こんなところに書いておく。笑


いろいろ感情の処理がまだ追い付いてない気もするけど
とりあえず引き続きお引越しがんばろう。笑
これも流れだ。


※元夫には開示の許可を取っています。ありがとう!


ふざけたノリで深刻なテーマと向き合いたい日もあれば
真剣に、真面目に、向き合いたい日もある。どちらでもいい。

正解のない世界だからこそ
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