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「愛」とはなにか

数か月前、目につく範囲で現実的な課題をすべて向き合い終わった(ように感じた)私は、気軽な気持ちで「次は、スピリチュアリティと愛を探究する」と宣言した。

そこから始まったのは、気軽には人に語れない怒涛の日々。
主に私の精神に影響を与え続ける「見えない世界の試練」がはじまった。
前触れなく始まった、幻覚なのか現実なのかわからない奇妙な体験。

この世界の本質に気づいた瞬間から生きる意味が足元から崩れていき、生きる気力を失ったり一時的に感情を失ったり、とにかく変なことが連発した。
(お陰様で少し慣れてきて、今は楽しめてます!笑)

しかしようやく、その試練も終盤を迎える。
いよいよ戸締りをしたいので、可能な範囲で言葉にしていくことにした。

なるべく誤解のないよう言葉を選択したけど、あらゆる角度からの視点を想定すると、書き直すほどわけわかんなくなっていくね…。笑



「愛」という言葉の意味

あなたは「愛」について、考えてみたことはあるだろうか。
気軽に口にする「好き」とか「愛してる」とか、あなたはその意味を考えて使ったことはあるだろうか。

意味を「わかった」気に、なっていないだろうか。

私はここ7か月くらい、「無条件の愛」とはなにかを探究し続けた。
私の思う「無条件の愛」は、対象をあるがままに承認し、自分に利益を与えるものだけでなく不利益を与えるものまでまるごと愛していくこと。

一生かかっても到達できそうにない境地だけど、私なりに受容できるレベルを引き上げ続けた。それに何の意味があるのかと問われると正直困る。純粋に、私の魂がそれに興味を示したから、としか説明がつかない。

愛のある在り方とはなにか、どんな私でいたいのか、私の幸福と周囲の幸福をどう両立させるのか…。

家族や友人など、たくさん増えすぎた大切なものをなるべく零さないよう両腕で抱えながら、喜びと絶望を繰り返し、毎日コツコツ向き合い続けた。

立ち止まっていたら、死に匹敵する恐怖が我が身を襲ってくる。この世界は「楽しいもの」だと腹落ちする日まで、苦しみから逃げるように内省と行動を高速回転で繰り返してきた。

だから実はほとんど毎日、心が痛くてひっそり泣いていた。

そしてそれが現実(外の世界)へ分かりやすい結果としてアウトプットされたとき「円満離婚」や「別居」という着地の仕方をした。

これはあくまで私にとっての最善であり、見る人によっては最悪の結果。変に美化する気はないから、その両面からのフィードバックをしっかり受け取りながら、今を生きている。


試練は、精神世界(内の世界)の中で起きていた

外の世界から受け取る情報も時には参考にしたが、結局私が見ている世界はすべて私の認知(内の世界)が構成している。

「多様性」について少しでも考えたことのある方になら伝わると思うが、言葉の定義は人によって異なるし、視界に入ったものの意味づけも異なる。


考えてみてほしい。

「りんご」をあなたの目で見たとき、あなたはどうやって「りんごが赤くて丸いもの」だと認識しているのか。

物理的に言えば「りんご」に当たった光が反射し、あなたの目を通して脳まで伝達され、脳の中にある情報をもとにそれを解析する。そして口から「これは赤くて丸いりんごだ」とアウトプットする。

でも、よくよく考えたら、脳の回路は人によって異なる。「赤い」「丸い」「りんご」などの情報を寸分狂わず、複数の脳へ同じように用意できるだろうか。同じようにアウトプットできるだろうか。
(できちゃったら逆に怖い)

あなたの目が「赤い」を認識できなかったら?

あなたの知っている言語が英語だけだったら?


もっと言えば物事にはメリットとデメリットや陰陽の両面があるように、世界は矛盾でできている。そこから何を自分にとっての正解として受け取るかも、自分の見る世界の構成に影響を与える。

受け取る情報は常に「自分で選択している」からこそ、自分の見ている世界は「自分が構成している」ことになる。

ここで他責思考が強くなってしまうと、その人の人生は停滞する。
でも停滞すらも厳密に言えば悪いことではない。
本人が納得して自分で選択しているのなら、外野に何を言われようとそれはその人にとっての正解となる。

ただし、その選択によって起きた現象をいつまでも他人のせいにし続けるのは、個人的に好ましくない。前へ進むために一時的に他責を用いるケースもあるが、いつまでもうじうじと文句を言っている姿は美しくない。

私は美しい精神で在りたい。環境や状態によってはうまくいかないことも勿論あるけど、一旦ボロクソに心の中で文句を言い終わったら、すべてを水に流して前を向くよう心掛けている。
(その頃きっと相手も私のこと心の中でボロクソ言ってるから、お互い様。笑)

これが、自己啓発本でよく見かける
「自分の人生の責任は自分にしか取れない」を私なりに言語化したもの。


ミスコミュニケーションをなくすためには「確認」が重要

とはいえ、都度正確に相手に確認を取って認識のすり合わせができるなら、最初から誰も苦労しない。
一方で「聞くだけでしょ?簡単じゃん!」と思う人もいるかもしれない。

でも、先述したりんごの例えのように、物事の捉え方も、頭の中での情報処理の仕方も、アウトプットの仕方も、すべて人によって異なる。仕事を人に教える過程で相手に対して「なんでコレがわからないの?」と思うときは、大抵このどれかがすり合わせできていない。

仮に一人の人間に対してうまくすり合わせができたとしても、対象人数が増えれば難易度はさらに上がっていく。

例えば会社の経営者。
従業員が100人いたとして、ただでさえ忙しい経営者本人が、直接メンバーひとりひとりへ正確にヒアリングすることは可能か?というと、ほぼ不可能。だから要所要所にマネージャーを配置し、複数いる従業員の声を抽象化して上層部へ汲み上げていく必要がある。

これらの理由から、視界に入るものへの解釈を相手と自分とで確実に揃えることはほぼ不可能に近い。それこそテレパシーでも使えないと無理な話。

それでも人は「繋がりたい」「分かり合いたい」欲求を本質的に持っているから、それぞれのコミュニケーションスタイルで挑みあって、傷つけあって、疲弊して、気付かないうちに関係性を壊していく。時には初めから傷つくことを恐れて、向き合わずに逃避する人もいる。

この悲しい戦争は、(仮説だけど)どちらか一方、あるいは両方に、「相手に勝つ」という意識が残っているから起きるのかもしれない。なぜ勝とうとするのか?を語り始めるとまた長くなるので省略するが、結論だけ言えば「勝ち負け」の意識は早々に手放したほうがより幸せに生きられる。と、思っている。

とはいえ資本主義社会で生きている限り「勝ち負け」からは逃れられない。
でも資本主義が悪、とも簡単には言えない。私たちは自分の気づかないところで資本主義の恩恵を受けている。
(「富の再分配」に価値を見出す資産家が増えたらいいのに、とは思う。私は社会学に疎いので、軽率に言葉にするのは良くないかもしれないが)

そこで、シーンによって自己犠牲(≒貢献や忍耐)・自分軸・他者依存がそれぞれバランスよくできると、楽にしなやかに生きられるのでは?と気付いた。

それぞれの言葉をアンパンマンで例えてみる。
(なんでアンパンマンかは自分でもわからない。急に頭に浮かんできたw)

自己犠牲(≒貢献や忍耐):アンパンマンは優しさでお腹の空いた人に顔をちぎって分け与える。だけど残りの顔面積を気にせず与え続けていたら、いつか顔がなくなってしまう。

自分軸の確立:顔をあげる気分になれない/残りの顔面積が少ないなど、状況に応じて「いま顔の残りが少ないからあげられないんだ」と断る勇気も必要。

他者依存:ジャムおじさんやバタコさんのような、顔を補充し続けてくれる外部リソースも時には頼る。

このように、顔を焼いてくれる人がいて、そこへ信頼関係があるから、アンパンマンは安心して(?)みんなに顔を分けたり、顔をばいきんまんに汚されるリスクを負ってまで仲間を守り続けたりすることができる。

「顔」を「愛」や「エネルギー」に置き換えてみても、しっくりこないだろうか。


「愛」の多様性/私の「愛」

色んな角度から「愛」を探究してみて、「愛」も人によって受け取り方や表現の仕方が異なることがわかってきた。
そばにいて、相手に親切にすることや、言葉で表現するばかりが「愛」ではない。

今の私にとっての「無条件の愛」は、見返りを求めず相手の幸福を願うこと。仮に相手から嫌われていても憎まれていても、自分は相手を好きなまま幸福を願って手放していくこと。

自分を満たす目的の「愛」は執着や搾取のようなもの。恐れからの行動なので、エゴともいえる。

ややこしいのが、これだけが正解、とは言えないところ。

自分だけを優先する「愛」もあっていい。執着や搾取をしないと生きられない人もいる。共依存で人生がギリギリ成り立つ人もいる。何も事情を知らない立場で彼らからそれを奪うのは、生きるのをやめろ、と言っているのと同じくらい酷な場合がある。

どこまでも奥深いからこそ、常に自らをアップデートし続ける必要がある。


私は試練が発生した際、直感で最初に「私にとってのゴール」がなんとなくわかるようになってきた。でも直感を受け取った時点では、現状との乖離があまりにも大きく、受け入れ難いもので、実行するには恐ろしく感じることが多い。

だからこそ最善を尽くすために死ぬほど考える。
死ぬほど考えて、考え尽くして、実行して、時には逃げて、それでもやっぱり最後には「はじめからわかっていた」と気付く。時には避けられなかったそのゴールに絶望することもある。

でもその過程と苦しみは無駄じゃない。現状との乖離が大きい段階で直感のままに実行してしまったら、あまりにも色々なものを破壊しすぎるリスクがある。正しい実行タイミングが来るまで、その葛藤に耐える器(=心・身体)を育み続けることも、試練の内容に含まれていた。

過去の私に不快な感情を抱く人からしたら「綺麗ごと言うな」と怒りたくなるかもしれないが、私は清濁併せ吞むことのできる自分を選択して生きている。私の美学でもある。だからその軸はだれにも奪わせないし、それによって守れるものもたくさんある。

自分にとっての正解は自分にしかわからない。
バランスをとるために時には他人に意見を求めることも大切だけど、結局は自分の人生の責任は自分にしか背負えない。自分の精神世界を人に見せることは難しいから、人にわかってもらうことも難しい。

だからこそ私は自己開示を続けている。
私は「わかってもらいたい」ニーズを持っている。そのための努力を怠っておきながら「わかってもらえない」と嘆くのは、赤ちゃんみたいで嫌だ。


私の天職

それは「人の話を聴くこと」。

怒られた記憶が圧倒的に多い幼少期、周囲に嗤われ精神的自傷をし続けた中学時代、死ぬ気の努力/怠惰の極みを体験した学生時代、手取り16万で自己犠牲150%に生きたブラック会社員時代、急成長組織で能動的な総務として働いたIT会社員時代、2024年から突然活性化したスピリチュアリティによる、日常と非日常の逆転。そして今。
(なんだこのヘンテコ人生)

32歳の今日まで(精神的に)怒涛の勢いで生きすぎて疲れたのもあり、今はあんまり使命とか天命とか言って「何か」を背負いたくはない。でも私が32歳までに怒涛の勢いで人生を通して様々な葛藤や感情を体験してきたのは、たぶん、今思えば運命みたいなものだった。(そしてきっと死ぬまでこれは続く)

身内の死別・結婚・不妊・転職・出産・育児・女性のキャリアへの葛藤・(軽度の)抑うつ状態による離職・短期間で就労不能になり解雇・離婚・別居。

振り返れば、どのエピソードにもいつも「愛」があった。
他者の感情をキャッチしやすいエンパス体質かつ、愛を起点にたくさん考えてきた私だからこそできる在り方がある。受容力の高さがある。

だから私はそろそろ値上げを検討することにした。
今は17,000円/セッションだけど、自分の積み重ねた体験に対し安すぎる気はしていた。ここまで到達するために500万近い投資までしている。でも自分に自信を持ち切れず、値上げする勇気が足りなくて足踏みしてきた。

今考えているのは30,000円/セッションくらい。
この金額はセッション中私がクライアントへ提供する愛の大きさに相関する。

水星逆行でエネルギー低下中なので、気力が回復次第準備を進めていくつもり。とはいえ、これを口に出すことは「謙虚でいたい私」が心の中でビビっている。
(コンサルの方に相談したら、叶佳さんの在り方なら100,000円/セッションでも売れるよ!と言われたけど、さすがにちょっと尻込みしちゃった…みなさまからのエンパワメントお待ちしてます🥺)

でも人から話を聴いていると、経営者や経営幹部など、日常で自分の心を武装する必要があり気軽に人を頼れなくなったポジションの人ほど「自分の話を聴いてもらう体験」が少ないと聞く。それは私もなんとなく察することができる。

あらゆる枠組みを手放していくと、そもそも話したところで理解されないリスクが高くなる。下手に話して傷付くくらいなら、黙っていたほうがましだと思う気持ちはわからなくもない。

ただ、そんなゴリゴリに心を武装した方をほぐせるスキルが今の私にあるのかはちょっぴり不安。でもやってみなきゃわからない。やってみたい。
(もしピンとくるご縁があれば、よければお繋ぎください🙇‍♀️)

私は、影響力の強い人ほどしなやかで整った心を手に入れてほしいと願っている。それはバタフライエフェクトのようなもので、最終的に世界平和に繋がっていくと信じている。(私が生きてるうちに達成できなかったとしても関係ない。いまの身の丈にあったことをするまで)


人に理解されづらい「愛」を抱えて、孤独に闘ってきたあなたへ

あなたが自分で自分を癒すのが難しいとき、私を頼ってほしい。私はセッション中、絶対に「あなた」を批判しないし、守秘義務も守るので安心してほしい。「ただ静かに聴いてもらう」だけで癒える傷もある。
(「よりよく」のための提案をする場合もあるけど、私の価値観を押し付けたりもしない)

セッションの詳細は以下いずれかのnoteをご参照ください。

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お気軽にお問い合わせください🙏


深謝

自己満足でしかない振り返りを外へ出すのは正直少し怖い。でも私の言葉だから受け取れる、私の言葉に救われる、と言ってくれる人たちのほうへ顔を向けていたいから出すことにした。

どんな私でも寄り添い続けてくれる仲間に、心からの感謝を。
ここまで私を育て上げてくれたすべてのご縁に、深い感謝を。
在り方が未熟だった時代に傷つけてしまった方へ、深いお詫びと感謝を。

離れてしまったご縁のみなさまへ、心からの「いってらっしゃい」を。

これで戸締まりは完了した。
あとは残った現実的なタスクを進めていくだけ。
ここまで踏ん張った自分を労りつつ、回復するまではスローに進めていきたい。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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叶佳
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