「『ムギューッ』ってするから否定できない雑念」【愛の◯◯@note】
いつもより早く仕事が終わって、マンションに帰ってきた。
そしたら、リビングの奥で、愛が壁に背中を引っ付けて、なにやら不思議なポーズをとっている。
これは。
これは、もしかしたら。
愛のもとへと近づいていき、
「座禅やってるんか」
と声を掛ける。
すると愛は眼をつむりながら、
「あんまりわたしの集中力を乱さないで、アツマくん」
「や、座禅やってるのかどうか訊いてるんですけど」
「見れば分かるでしょ。ムダな質問は控えめにして」
あーそーですかー。
はいはい。
× × ×
「どうしてスネちゃったみたいな顔になってるの? アツマくん」
「べつにぃ??」
「なにそれ」
「おまえに理由を知られたくない」
「はーーっ」
座禅を終えたばかりの愛は肩をすくめて、
「どうやらあなたにも座禅が必要みたいね」
「えーーーっ、イヤだ」
「いまのあなた、絶対に雑な感情がココロの中にいっぱい混じってる」
「雑念?」
「雑念」
愛はおれにジトーッと視線を送って、
「雑念だらけのあなたには、座禅がうってつけよ」
「そもそも、おまえは座禅のやりかたをどこで知ったんか。お寺か?」
「話を逸らさないで! ココロが雑になってる証拠ね、まったく」
「ぬ」
そういえば……と思い、おれは愛の顔を見やりながら、
「『禅と日本文化』だとか、そういう有名な本もあったと思うけど。なんだ、おまえはアレか、禅の思想に引き付けられてる感じか。禅の思想がおまえの中でマイブームなんか」
「これだから、あなたは……」
は!?
ため息つくなや。
「禅は『思想』じゃありません、アツマくん」
「だったらいったいなんなんだよ?」
「自分で考えてみなさい。わたし、夕ごはんの下ごしらえをしてくるから」
おーい。
おれに座禅をさせたいんじゃなかったのー。
× × ×
夕食後。
床座りで丸テーブルに向かい、何冊も本を積み上げながらノートをとっている愛。
食器拭きを終えたおれは、
「なんの勉強してんだ?」
「宗教学よ。わたし哲学科だから、宗教学は重要な学問のひとつなの」
ふーむ。
座禅やってたのも、宗教学との絡みなんかな。仏教を勉強していって、禅宗(ぜんしゅう)に触れて。
「おまえ、臨済宗と曹洞宗の違いとか分かるの」
「その気になったら1時間以上かけて説明できるけど?」
『ドヤ顔』という若干廃れかけたコトバがピッタリの表情の愛。
「アツマくんアツマくん」
なぜかおれの名前を連呼して、
「日本の禅宗は、臨済宗と曹洞宗だけじゃないのよ」
「ほかに何宗(なにしゅう)があるの」
「自分で調べなさい。それぐらいの情報は自分で得なくっちゃ。そうでないと、この先やっていけないわよ?」
説教しないで。
× × ×
「分かったぞ。黄檗宗(おうばくしゅう)ってのがあるんだな」
「よくできました。偉い偉い。パチパチパチ」
「アメとムチか」
「え?? なにが」
ムチで叩いておいて、おれが成果を出せたら、褒め言葉という名のアメをくれる。こいつのひとつのパターンだ。もっとも、アメよりムチの量のほうが確実に多いんだが。
愛はもう1時間半近く宗教学の勉強を続けている。
「そろそろ風呂に入ったらどうだ」
「アツマくんのエッチ」
「はあぁ!?」
「わたしに入浴を促すなんてエッチよ」
少々ムカッときて、丸テーブルのそばから立ち上がり、冷蔵庫に飲み物を取りに行こうとする。
しかし。
勉強中の愛を改めて見下ろしてみると、栗色の長い髪がキラキラと輝いているふうに見えて、その輝きのおかげで、愛の全部が輝いているようにも見えたので。
コンロに火を点け、やかんでお湯を沸かす。仕事場でいただいたコーヒー豆を挽く。愛専用のマグカップをキッチンの上に置く。
「なにしてるのあなた」
「おまえにしては鈍いな」
「え……」
「一目瞭然だろ。コーヒー作ってんの、コーヒー!」
「どうして」
「おまえが頑張って勉強してるから、応援したいんだよ」
「わたしのために、そこまで……!?」
「おれが応援してやらんでだれが応援する」
愛がバッ! と立ち上がる。キッチンのおれに急速に接近し、背中にしがみつくようなスキンシップ。
おれに密着する柔らかいカラダ。
だけども、
「感激して感謝したいキモチは分かるが、コーヒーが若干作りにくい」
「あなたならできるでしょ。わたしにムギュッ、てされながらコーヒーを作ることぐらい」
「まぁできんこともないが」
苦笑して、おれは、
「まだまだおまえにも『雑念』があるってことだな。すぐスキンシップしたくなるトコとか」
俯いて、図星。
「丸テーブルに戻って待ってろ。美味しくてアツアツのコーヒーを提供してやるからさ」
しかし、愛の『ムギューッ』は、継続。
コーヒーよりもおれとおまえのカラダがアツアツになって、どーすんの。
スキンシップ欲もほどほどにせんと……悟りの道から遠ざかっていっちまうぜ、愛さんよ。
ま、悟る必要も……あんまり無いか。