織田信秀菩提寺「桃巌寺」
織田信長の父、信秀の菩提寺「桃巌寺」(とうがんじ)は、末森城の城下に建立された。
末森城の南、現在の末盛交差点の南東側が穂波町である。
後に現在の地に移転された。本山交差点から、山手通りを500mほど南下した東側にある。
天文年間、末森城(城山町)主であった織田信行が父・信秀の菩提を弔うために城の南に位置する尾張国愛知郡鳴海荘末森村二本松(現在の千種区穂波町付近)に建立した。
後に現在の松竹町に替地となったが、正徳2年(1712年)または正徳4年(1714年)に現在地に移されたとされる。
開基は織田信秀とされており、開山は龍泉寺輪住二十世、慈眼寺三世住職などを務めた快翁玄俊。
桃巌寺の寺号は信秀の法名「桃巌道見大禅定門」から取られており、恵心僧都作とされる聖観世音菩薩像を本尊とし、信秀が所有していたと伝わる辯天画像や竹生島から勧請した十五童子像を守護神として祀る。
本堂
墓石
公廟所の碑。
本堂内
巨大な木魚。
寺の東側にある名古屋大仏。歴史とはあまり関係が無いようだ。
今の事務所の所在地は、田代本通3丁目。
末森城から南に1kmほどのところ。
450年前は、末森城の城下にあたる。
城下と言っても、当時は村が点在する程度だっただろう。
当時は、古渡城や那古野城より、末森城が格上だった。
名古屋城が築城され、清洲越しで、名古屋の城下町が生まれるのは、まだずっと先である。
歴史に想いを馳せて、ぶらり訪れる菩提寺の旅。
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