『第七回こむら川小説大賞』に参加しました!
オンライン上の小説イベント、『第七回こむら川小説大賞』に参加させていただきました。 一時創作書下ろし作品が沢山投稿されまして、「みんなで小説を書こう!感想を言い合おう!」という趣旨のお祭りとのことで、Twitterで流れてきて、楽しそうだなーと思って参加させていただいた次第であります。 詳細はこちら。
参加すると、主催の方と評議員の方計3名により、『全作品』講評をいただけるというのが概要にありまして、……いや、すごくないですか?
わたしのようなweb小説書きは基本「読まれ」に飢えていますから[要出典]こんな……参加すれば絶対に講評がもらえるなんて……なんてありがたい……。
というわけで、書いた小説がこちらになります。
太陽はカンヴァスの中に輝く
ヴィクトリア朝が舞台の伝奇小説です。
吸血鬼……ヴィクトリア朝……天才画家……寡黙な無表情メイド……など、私が好きな要素をもりもりに詰め込んだ作品になります。「とにかく好きなものを詰め込め詰め込め!」で押し切るのは、逆噴射小説大賞でも鍛えたあれです。
初参加でしたので、どのような講評がもらえるのか、どきどきしていたのですが……
うわああああああ!!!!
銀賞受賞!?!!?!?!?!!?!?!?!!??!?!??!?!?!!?
うれしい!!!!!!!
✌(’ω’✌ )三✌(’ω’)✌三( ✌’ω’)✌
うれしい!!!!!!!
✌(’ω’✌ )三✌(’ω’)✌三( ✌’ω’)✌
うれしい!!!!!!!
✌(’ω’✌ )三✌(’ω’)✌三( ✌’ω’)✌
まさか賞までいただけるとは……結果発表の記事を目にしたときは腰を抜かしました……。
ありがとうございます……。
というわけで今回はこちらの小説について、あとがきというか解説的な何かを書いて行こうかな、と思います。
今回のテーマが「光」ということで、光→太陽の光→吸血鬼というとても近い連想ゲームから出発したわけですが、最初は「吸血鬼を退治するために太陽の光を当てる」というアイデアでした。現在時刻を誤認させるトリックを使って、吸血鬼を夜だと騙して太陽の下へと引きずり出すといった感じの、ヴァンパイア・ハントものにしようかと考えていました。その中のオチとして、「鏡に太陽を反射させる」だとか、「写真・ビデオに映った太陽を見せる」といった案を出していたのですが、そのうちに段々と主軸のアイデアがヴァンパイアハントものから変わり、吸血鬼側に主体を置いて、「初めて写真で太陽を見て感動する吸血鬼」とか「映像で太陽を見る吸血鬼」みたいに考えていくうちに、「太陽が見たくて人間に依頼をする吸血鬼」というアイデアに着地していった感じになりますね。
依頼をするのは最初は写真家にしようかとも思っていたんですが、「現代舞台にするか」→「でも現代だともう写真も映像もたくさんあるしな」→「写真がまだ珍しかった時代にするか」→「現代に生きる吸血鬼って写真とか映像でいくらでも太陽を見られるけど、そういうのがなかった時代の吸血鬼ってガチでまったく太陽見られないよな~かわいそ~」とみたいな考えがふと浮かび、舞台はヴィクトリア朝……もう何百年も太陽を見ていない吸血鬼……画家に太陽の絵を依頼する……みたいな、本編のあらすじに決まりました。
◆画家:ランドルフ・カーヴェル
語り部。最初は売れない画家にしようかとも思ったのですが、オチを「素晴らしい太陽の絵を見た伯爵が灰になる」という流れにするうえで、どうしても卓越した腕前を持つ必要があったため、天才画家になりました。「どんなに素晴らしい絵でも見ただけで灰になるか?」という当然産まれるであろう読者の疑問に応えるためにも、「もはや異能のレベルで絵が上手い」という風に画力は盛りに盛りました。
私はまったく絵が描けませんが、小説の中でならいくらでも登場人物に画力は盛れますからね。それが小説の利点じゃい!(漫画とか映像媒体だとどうしても『天才的な絵』をヴィジュアルで表現しないといけないため)。
10,000字という限られた文字数のなかで画力を天上に盛るために、「描いた絵が具現化する」というよくあるアレをやろうかなとも思ったのですが、そうすると「太陽が具現化するんだから吸血鬼は灰になるやろ」って話のオチが読者の方に一発でバレてしまいますし、「自分の絵で太陽が具現化するってわかってるなら、画家は殺す気で絵を描くのか?」みたいな疑問点も産まれてしまいます。
そこで現在のように、「他人の心を掬い取り、それを絵に落とし込む」「その結果、絵を依頼した人間のたましいを揺さぶるレベルの絵になる」という形に落ち着きました。この設定にすることで、「依頼した人間の気持ちを理解しないと絵に落とし込めない」という能力の縛りが産まれ、結果として主人公と吸血鬼が同じ館で暮らす口実が産まれたので良い設定だなと思いました(自画自賛)。
いくら天才とはいえ物語上絵を完成させるまでに『壁』を設定する必要があるわけですが、それも彼の能力に起因するものとして、「心情を理解すると絵が描ける」なら裏返せば「吸血鬼の心情が理解できないので中々絵が描けない」という風にして試練の設定ができますからね。天才なのに苦戦するのかよ問題についても、「人間の心は理解しやすいが、人外の存在である吸血鬼の心はなかなか理解できない」という形にすれば割と自然になるかなと思いました。この能力の設定が今回この小説を書くにあたり、バチっとパズルのピースのようにハマった感があります。
◆吸血鬼:メレディス・レッドグレイヴ
今回の話を作るにあたり、一番描写やら何やらを削った人。10,000字は想像以上に短かったですね……。主題として、「画家と吸血鬼の交流」「心を通わせていくうちに仲良くなるふたり」「最後は悲しい別れ」というのをやりたかったのですが、とにかく字数が足りなかったので「うおおおおお!!匂わせる!!!悲しい過去も画家との交流も全部匂わせる!!」で全力で匂わせに走ったので、だいぶ謎めいたままになってしまったなという感じです。まあ吸血鬼なんだから謎めいているぐらいでちょうどいいか……。
長命種ありがち問題として生に飽いているというのがありますが、彼も例にもれず、いわゆる『死にたがり不死者』となっています。最終的なオチが「絵を見た吸血鬼が灰になる」ということになる都合上、どうしても死を望んでいないと読み味が悪くなってしまいますからね。とはいえ、今作では吸血鬼はオールドスタイル――太陽の光や銀などが明確に弱点なので、死のうと思えばいつでも死ねるんですよね。にも拘わらず死を選べない理由として『責任』を設定しました。今まで自分が生きるために血を吸ってきた人間や、自分を生かすために死んでいった仲間たち、また、殺されることを避けるために命を奪った狩人など、そういった犠牲のもとに今の自分があるという自覚があるため、軽々に死を選ぶことはできない――といったジレンマを抱えてもらいました。なのでこの小説は言ってしまえば彼の遠回しな自殺とも取れるわけですね。
「数百年見ていない太陽を絵でいいから見たい」という気持ちの中に希死念慮があり、それをランドルフが感じ取ることで、太陽の絵を完成させるという流れになる都合上、彼が『死にたがりの不死者』であるという設定は読者に対しても情報の開示は終盤となっています。
当初は特に血を吸うと若返るという設定はなかったんですが、せっかく彼もバトらせることにしたので若返ってもらいました。イケオジ形態と美形形態が両方楽しめて……お得!!
◆メイド:ミナ
伯爵に仕えるメイド。名前は『吸血鬼ドラキュラ』のミナ・ハーカーから。ある種、「吸血鬼と画家の交流」というメインストーリーからするといなくてもよいサブキャラ――なんですが、書いていくと思ったよりも重要な役どころになりました。
メインの役割は、吸血鬼を殺してしまった画家に対するフォロー役。プロットでいえばランドルフは仲良くなった相手を自分の手で殺してしまう訳で、どうしても「そんなに気に病むなよ」という役が必要になるなと思いました。まあ、あと吸血鬼が伯爵なので、従者もいたほうがいいよなということに。とはいえあんまり屋敷に人が多いと、それはそれで神秘性・ゴシックホラー性が薄れそうなので彼女ひとりになりました。不気味な雰囲気の従者をぽんと一人置くと、なんかそれだけでゴシック感が出るので、「人外の貴族・ひとりだけの従者」という構図がいろんな作品で使われるのも納得ですね。
食事・洗濯・庭仕事・買い出しなど屋敷のこと全般に加え、戦闘術も学んでいます。どうしても昼間は睡眠をとってしまう伯爵の守り手としての役割です。あと戦うメイドは全人類が好きなので。当初、吸血鬼ハンターたちとの戦闘シーンは彼女が一人で行うはずでしたが、せっかくなので伯爵も戦闘に加わり、その圧倒的な強さを見せてもらうことにしました(その流れで血を吸うと若返る設定も生えてきた)。
無口・クール・無表情・黒髪長髪などとにかく私の趣味も詰め込んであります。結果としてはキャラが立ち、徐々に彼女と仲良くなることで、ランドルフがメレディス邸に受け入れられたバロメータみたいな役割を持たせたり、絵を見て涙を流させることで出来上がった絵画の完成度の演出に使ったりと、想像以上に便利なキャラになった気がします。
本編で明かされなかった設定としては、彼女の両親も吸血鬼ハンターだったというものがあります。幼いうちから戦闘術を仕込まれた彼女は、両親から吸血鬼を狩る際の『囮』として使われていました(感情が乏しいのも両親の『教育』によるもの)。
ミナ達家族はメレディス伯爵をも狩ろうとしましたが、返り討ちに会い、そこで両親は死亡。まだ幼かった彼女だけが命を助けられたという経緯があります。ミナにとって伯爵は両親を殺した仇でありながら、彼女を保護しここまで育てた恩人でもあるという立ち位置なわけですね。両親に絶対服従――対吸血鬼用の戦闘機械のように育てられていたミナが、メレディス伯爵の許で少しずつ人としての心を取り戻していくという……
😠なんでそんなおいしい設定を本編で明かさなかったんですか?
😭字数が……字数が足りなくて……
◆講評
というわけで無事『太陽はカンヴァスの中に輝く』で参加することができたわけなんですが……なんと参加作品数は238作品にのぼります。投降したときは67作品目だったので、「うーん、まあ後半組ぐらいなのかなぁ」とかノンキしてたら全然序盤だったわけですね……。
上でも書いた通り評議員の3名の方は、投稿された作品すべてに講評を書かれていらっしゃいます……。講評だけで26万字あるとか……。ヒエッ……😨
うおおお……めちゃくちゃ読み込んでくださっている……!
めちゃくちゃに褒めてくださっている……!😊
評議員の方の講評は基本的に褒めベースでありながら、各委員それぞれ1つは改善のためのアドバイスもしてくださっているとのこと。webに投稿しているだけだと、なかなかそういう機会ってありませんからね……それもまたありがたい……!
「オチが読める」これは評議員の方だけでなく、Twitterの感想をちらちらと(嘘。わりとがっつり)見ていても結構散見されたなーという感じですね。ミステリというわけではありませんし、もともとあんまり隠す意図はなかったんですが、太陽の絵を見て灰になるというオチは作者の想像以上にすぐに浮かんでしまう感じっぽいので、もうすこし導線を整えたほうがスムースになりそうではありますかね……(伯爵がミナに自分がいなくなったあとのことを仄めかすとか?)。
実は作中本文は「キャンバス」表記に統一してあって、タイトルだけ「カンヴァス」表記だったりします……もともとはタイトルも『太陽はキャンバスの中に輝く』だったりしました。ただこう……なんとなくタイトルを眺めていると、ちょっとしまりがないというか、ジャンルにあってないというか、『青春もの』っぽいオーラを響きから感じ取ったので、格好つけてタイトルだけカンヴァスにしたという経緯があります(汗)。なんとなく古めかしい感じがするので、そっちの方が雰囲気でるかなーと思ったりしたんですが、そこを変えるならいっそのこと本文も全部「カンヴァス」に統一した方が良かったですかね……? なんか「ライブ」を「ライヴ」って発音するみたいな照れを感じてしまって、本文は「キャンバス」表記で突き進んだんですが……。
ちなみにもっと前のタイトルは『太陽の画廊』だったりしました。実はメレディス伯爵は800年の間に他の画家にもいっぱい依頼をしていて、屋敷の一角には錚々たる画家たちがそれぞれに太陽を描いた絵が飾られている画廊がある。ランドルフくんは「こんなに素晴らしい絵でも伯爵は満足してないなんて、いったい自分は彼を満足させられる太陽の絵を描けるのか……?」みたいな自信喪失に陥るシークエンスを書く予定だったんですが、あえなく没になりました。
3名の闇の評議員の方が共通して気にされている部分として、「ランドルフとメレディス伯爵はどこまで想定しているのか」という部分があったので、これはなかなか言われるまで読者の方がそこを気にするポイントなのか!気づかなかったなー!という発見がありました。読者(神)の視点ではオチの予想が早くついてしまっている分、「えっ、じゃあキャラクターたちはどう考えているの!?」というのが気にかかるのでしょうか。
ちなみにランドルフくんはまったく想定してませんでした。彼からしてみると依頼人はあくまで『錯覚』しているだけで「めっちゃ感動する」の亜種ぐらいの感覚でいました。『錯覚』が肉体に影響を及ぼすという事例はなかったので、伯爵が灰になってしまうというのはまったくの想定外でした。
メレディス伯爵は、依頼する段階では想定していませんでした。ほんとに久しぶりに、絵でもいいから太陽を見てみたい、そのために有名な画家に頼もうぐらいの気持ちでいたわけですね。伯爵が「もしかしたら……」と察したのは、ランドルフが自分の異能について説明したあたりですが、確信はありませんでした。絵を見るだけで灰になる吸血鬼なんて、そんな事例は聞いたことがありませんでしたから。「万が一」「ひょっとすると」であり、可能性としてはかなり低く見積もっていました。しかし、もしも自分が太陽の絵で消滅してしまった場合、ランドルフが他の吸血鬼に報復される恐れがあったため、ミナに対して遺言の手紙を残していた、といった具合になります。万が一の保険といった想定ですね。もしも、高い確率で太陽の絵を見た自分が灰になると想定していた場合、逆に伯爵は絵を見るという選択はしなかったと思います。なぜなら、それは『自殺』になってしまうからですね。仲間や自分が奪ってきた命に対する責任として、伯爵は自殺をすることはしないので。「もしかしたら自分を滅してくれるかもしれない……」という本当に微かな、淡い期待感はあったかもしれませんが。
一応、ラストシーンでランドルフに宛てた手紙の宛名が〝私の最後の友人〟になっていたのは、そういう背景がありました。
😠ふざけるな!!! 読み取れるわけないだろ!!!
夏井先生「なぜそれを書かないんですか」
😭字数が……字数が足りなくて……
これは完全に余談なのですが、ラストシーン、ミナとランドルフが向かう先――メレディス伯爵が懇意にしていた吸血鬼の正体は、アルカード伯爵だったりします。(※吸血鬼ドラキュラの〝Dracula〟のスペルを逆さ読みした名前。〝Alucard〟。ドラキュラ本人の使う偽名・ドラキュラの親族・血縁・配下の名前などドラキュラ関連のネーミングによく使われる)
最初は名前を出そうと思っていました。この手の歴史上の人物(アルカード伯爵を史実扱いしていいのかは微妙ですが)がぽろっと出てくるのがヴィクトリア朝ものの美味しい部分ですので。ですが自分で読んでいて……さすがにそれは……「続き」がありすぎるだろ!そこまでヒキを作って続きを書かないなんて許されざるよ😠 となったので名前は伏せることになりました。
しかし、書く側としては10,000字の制限がかなり厳しく「文字数足りない……😭 40,000字くらい欲しい……」と思って書いていたのですが、講評では特に「ちょっと早足でしたね」とか「字数足りてませんよ」などと指摘をされなかったのが意外ではありました。書く側だと足りてないけど、読む方はわりとちょうどよかったりするんですかね……? ここらへんの感覚の差みたいなものも掴めるようになるといいですね。
こむら川小説大賞に参加してみて
感想としては、とにかく「参加してよかった~~!!」ってなりました。私は結構人見知りなので、こういったネット上のイベントも参加するのに結構勇気がいったのですが、いざ参加してみたらめちゃくちゃ楽しかったです。
テーマに沿って作品を書くのも楽しかったですし、同じテーマで色々な人が色々な作品を投稿するのを読むのも楽しかったです。「光」に対してどういう方向から小説を書くか、各々の手練手管が見えて面白いですね。乳首光らせたり。チンポ光らせたり。
感想書いたり書いてもらったりするのも楽しかったですね。書いてもらえるのはもちろんうれしいんですし、書く方もですね。インターネット人見知りだと「これ……感想書いて大丈夫か……? 見当はずれの感想で、作者の人の気分を害したりしないか?」と不安になったりするんですが、「さあ! 読んで読まれてのお祭りをしようぜ!」って舞台を整えてもらえたので、気兼ねなく作品を読んで出た叫びをツイートできました。一部作品については、感想記事をnoteにあげさせてもいただきました。
あとは主催のこむらさきさんにピックアップしていただけたのもめちゃくちゃ嬉しかったです!!
それと講評ですね……。自分の作品に講評を頂けるのも嬉しいですし、他の作品の講評も目を通すのも非常~~~に勉強になりますね。まだ私は100作ちょっとしか読めていないんですが、自分が読んだ他の参加者の方の小説に対して、評議員の方がどんな感想を書いて、どんなアドバイスしているのかを分析するのが滅茶苦茶楽しいです。
というわけで、書いてよし、読んでよし、読まれてよしのはちゃめちゃに楽しい小説イベントでした。
主催のこむらさき様。謎の果実猫様。謎の女子高生様。本当にありがとうございました。
いやほんと……あの講評の量を見ると……マジで頭があがりません……!!
©Photo by David Clode on Unsplash
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