幻獣搏兎 -Toglietemi la vita ancor-
「やめた方がいいよ」
隣を歩く少女は、そう言って顔を覗き込んできた。長い金髪が揺れる。
クリスマスの夜。大通りは、カップル達で溢れている。
行き交う人の中で、少女の姿は浮いていた。バニースーツを着ているのだ。どう考えても屋外で着る服ではないだろう。
だが、通行人達が彼女に目を向ける事はなかった。
何故なら、彼女は俺が脳内で作り出した幻覚だからだ。
「向いてないよ、蓮には、殺し屋とか」
幻聴。この言葉も、俺にしか聞こえない。
少し前から視える様になった、ストレスから逃れる為に作り出した妄想──脳の悪戯。
彼女の声も、姿も、俺が反応しなければ、この世界に存在しない事と同義になる。
「柚香さんも望んでないでしょ。復讐なんて」
「うるせぇな」
大きな声が出た。すれ違うカップルがぎょっとした顔で俺を見る。舌打ち。傍から見れば、俺は、独りでお喋りを楽しむ精神異常者だ。
◆
目的地のバー。
落ち着いた店内には、ファドが流れていた。
カウンター席に腰掛け、注文をする。運ばれたギムレットを、口の中へ放り込んだ。
店の奥のボックス席へ目をやる。『標的』が座っていた。
「まだ若い男の人じゃない」
俺の後ろに立ったまま、少女は呟く。幻覚に席はない。
四人組の男女。隅に座る金髪の男の顔が〈花屋〉に渡された写真と一致していた。
標的が席を立ち、トイレに入っていく。
好機。
少し間を開け、俺もトイレへ向かった。
ドアを開ける。
鼻を衝くアンモニア臭。
血の香り。
赤。
「は?」
標的の男が、床に倒れていた。首から流れた夥しい量の血が、一面に広がっている。
傍らに、別の男が立っていた。
赤い髪。顔に刺青。手には、血に濡れたナイフ。
男が、こちらを見た。
「へぇ……。可愛い娘だね。彼女さん?」
男の目は、俺ではなく、隣の少女に向けられている。
「え?」
困惑。
思わず少女を見る。彼女も、きょとんとした顔で俺を見ていた。
「私?」
──見えているのか?
瞬間、喉に灼ける様な痛みが走った。
【続く】