アウトサイダー的小学生②
今回は、前回(https://note.com/baroque_0408/n/n47ef04534f10)に続き、私の小学生時代後半の話である。
小学校も半ばを過ぎるとさすがに、個性というか個々の特性が現れる。私は読書が好きな生徒ということにして、休み時間はすべて読書につぎ込んだ。お陰様で、誰にも話しかけられることなく平穏に過ごしていた。
しかし不運が、再び現れた。委員会決めである。
今でこそ(おそらく)人気の保健委員会だが、母校では不人気だった。そのため夕方の学級会兼委員会決めでは、立候補者が現れるまで帰宅が許されない事態が発生してしまった。私はこうした理不尽の連帯責任以外では、常に予定の時刻で帰宅したかったので、どうにかして帰ることを考えた。不自然な仮病は使えない、水を打ったような教室で、時計の針だけが音を出していた。時間が勿体ない、私は立候補してしまった。
言い訳がましいことを言うと、私が立候補した時点で残っていたのは、毎朝、生徒に挨拶し続ける委員会・運動部を応援する委員会など体育会系の暑苦しいものだった。不本意だが保健委員会は蜘蛛の糸だったのである
。
その後何とか既定の人数がそろい、帰宅は許された。このまま何もなく卒業したいものだ。
そうしてくれない運命は、いつも突然やってくる。
最高学年に上がったころ、こっそり教員呼ばれ委員長になれと告げられた。続けてこうして呼ばれた生徒たちは、誰も断っていないとじわじわと圧力をかけ、私は首を横に振れなかった。
私は知っていた。委員会の始める時間になっても、遅刻をする生徒がザラにいた。担当教員と当時の委員長は甘く、時間に遅れる者を常に待ち、叱らなかったのである(しかも時間が押したからと言って終わる時間は早まらない)。私は時間に遅れたりズレることに、非常にストレスがたまる人間だったので、委員会の運営+生徒のマネジメントをも兼ねる委員長をやりたくなかった。しかも人脈もないので、人の上に立つこと自体向いていない。それなのに私は委員長に強制的にさせられ、穏やかな小学校生活を過ごす作戦は、水泡に帰した。
呪われた立場になってしまったが、失敗は許されない。私は担当教員とこまめに打ち合わせ、シナリオ通りに従った。また遅れる生徒は嫌がらせに、定刻通り始めて恥をかかせてやった…つもりである。
他にも貴重な昼休みを、やりたくもない委員長会議に出席し潰したり、全校生徒の前で委員会紹介もしたりした。どの仕事も辛かった。ただ、(内申点目当ての)副委員長が腰巾着としてついてきて媚びるのは非常に滑稽だった。
前から分かっていたが、私にはリーダーは向いていない。中学に上がったら、委員会は強制ではなくなると姉から聞いていたので、何とか避けたい次第であると12歳児は願ったものである。