チベットスナギツネに教わる”好きとは”

『好きとは相手を許すこと』彼の口から放たれた言葉。

最近買って読んだ本『知見』で”好きとは、美しい景色や美味しいもの感動したものを、どうしようもなく分かち合いたいと思う相手に対して抱く感情である”と記してあった。

彼の”好きとは”を語る中で、なんだかわからないけれど、彼の過去に何か壮絶な過去があったような感じがした。

彼は、自分で『メンヘラ製造機』と言っていた。付き合った彼女たちが、メンヘラになる気質を持っていたからか、それとも彼自身の行動やセリフが彼女たちをメンヘラにしてしまったのかはわからない。けれど、その付き合う時間の中で何かをきっかけに彼女たちの恨みや敵意が生まれて、彼に向かっていった。その体験から、彼女たちの恨みや敵意というものは、決して好きという感情ではないと思ったらしい。恨むのではなく、それをも許すことであるという彼の言い回しに納得してしまった。

私にとって好きとは。どちらかというと知見の考え方と一緒だと思う。ある出来事を一番に共有したくなる相手に思う感情かな。現在、メンヘラ製造機と付き合っている真っ最中であるが、果たして私はメンヘラに変身できるのでしょうか。全然なれる気がしないけれど、変身の仕方ならわかってきた気がする。彼女に時々背を向けるような恋愛の仕方をする男性に対して、女性は不安になり自分の理想の形を押し付けようとする。恋愛が全てではないメンヘラ製造機にとっては、その行為が負担でしかないのだ。メンヘラがどんなに感情的に気持ちを伝えても”何か言ってるな。感情的になっているな”としか製造機には思われないのだ。結果、メンヘラさんたちだけが、病んでいくのだ。

多分、好きとはのアンサー=自分がしてもらいたいこと なんじゃないかな。だから、正解っていうものはなくて、その人その人の答えであっていろんな答えがある。だから、その答えが似ていたり一緒の人と付き合うと幸せになるんじゃないかなと思う。

あ、実際私たち二人は≠だけどね。笑


狐さん作

日記作成日:2022.5.3

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