ハンチ(1)

 CTAのブルーラインはよく止まる。その原因の多くは、人身事故とか電気系統の故障とかではなく、病人がよく出るからだった。シカゴのダウンタウンと空港を結ぶブルーライン沿線に病院はないのに、どういうわけかブルーラインに乗ると身体のどこかを悪くしてしまうらしい。それもかなり深刻に。

 ブルーライン。電車も心臓もよく止まる路線。

 シカゴ・オヘア国際空港からダウンタウンまでは、ブルーラインで一時間くらい。万が一、一人の病人も出ずに時刻通りに運行すれば。

 しょっちゅう止まることで有名なブルーラインの電車は、この日も期待を裏切ることなく、カリフォルニアとかいう皮肉いっぱいの駅で止まったきりまったく動こうとしない。目指すクリントン駅まではまだかなりあるというのにだ。

 ドアはなぜか開きっぱなし。摂氏零度を下回る冷たい空気が図々しくも堂々と車内に入り込んでくる。車内の換気のつもりならせいぜい五分くらいでドアを閉めるべきだ。外の空気は、しかし、気持ち良かった。最初のせいぜい五分くらいは。

 五分後、乗客は、特にドアの近くにいる人達は、上着のボタンやジッパーを一番上まで引き上げたり、マフラーを巻き直したり、体を丸めて縮こまったりと、各々のクリエイティブな防寒対策を取る必要にせまられた。ここがもしカリフォルニア『駅』じゃなくてカリフォルニア『州』だったら日差しが暑すぎるくらいの時間帯だろうけど、真冬のイリノイ州上空には分厚い灰色の雲が垂れ込めていて、太陽はちらっと顔を出そうともしないのだ。

 電車はこういう日和に止まる。また、電車が止まったということは、誰かの心臓も止まったということか。

 ホームを救急隊員がばたばたと駆けていき、そして、ストレッチャーにビジネスマン風のおじさんを乗せて戻っていった。おじさんは禿げていて太っていた。いかにもこういう日に心臓が止まりそうな人だった。透きとおった青色の酸素マスクがよく似合っていた。

 救急隊が病人を連れていってしまってからも電車が動く様子はない。文句を言う乗客は不思議といない。慣れてしまっているんだろうか。「だってブルーラインだし」と。

 暇だったからあきに電話してみた。アキは2コールで電話に出た。

「もしもし」約二週間ぶりに聞くあきの声だ。「帰ってきた?」

「いや……ええ……まぁ、シカゴには」

「なんだよ」やや苛立ち。「まだシカゴかよ」そしてやや落胆。きっとあきも暇なんだ。

「だって今日着いたんだもん」そんな必要もないのに申し訳無さが混じる。

「そっか。じゃあ、いまもう駅か?」

「駅ではあるけど。たぶん、そっちの言ってる駅じゃないですね」

「なんだよ?」

「ブルーラインが止まったんですよ」わざとらしくため息をつく。「また」

「な。よく止まるんだよ」

 あきが得意気に言うのは、まだ彼と会ってそんなに経っていない頃、「シカゴのブルーラインって止まりやすいんですよ」と何故か自慢気に語っていたからだ。あの頃はお互いに敬語だった。今では僕だけが敬語だ。

「ですね」

 そんな必要もないのに。

「一人倒れたらもう二、三人倒れるからな」とあきが言う。そんな馬鹿なことが……。

 救急隊がホームを駆けていく。ストレッチャーに乗せられて人が運ばれていく。

「な」あきはまた「そういうもんなんだよ」得意気に言う。

「ま、帰ってきたら連絡くれよ」

「もちろん」電話を切る前に一つだけ「そっち寒いですか?」あまり意味のない質問をする。

「あーー……シカゴ寒い?」そんなことあきにもわかってる。

「寒いです」だって寒風吹きすさぶ真冬のシカゴなのだ。

「じゃあこっちも寒いよな」

 あきは冬になると必ず言う。「数字の前にマイナスがついたら何度だっていっしょだよ。寒いっつーか、痛いな」

「ですね」

 電話を切ると、ジーという音が聞こえてきて、電車が震えだした。アナウンスも発車ベルもなにもなくドアが急に閉まって電車は再び走り始めた。

 目的地はまだ遠い。幸か不幸か……不幸か。時間はたっぷりとある。

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