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神田酒場放浪記 学生時代

神田酒場放浪記 学生時代

 忘れないうちに神田で飲んだ時の思い出を残しておきたい。
 当時小川町にあった私の大学の周りには食堂から飲み屋まで沢山あった。今振り返るとビジネス街の中にあったのに比較的安いお店が多く、お昼ご飯も学生に優しい店が多かった。よく行ってたのはカレーが500円で食べられてペットボトルのドリンクが付いてくる店。そして量がかなり多いのにとても美味しかった中華料理屋に行っていた。そのカレーを出す店はgoodoneと言う名前で昼間はカレーを出しているが夜は立ち飲み屋に変わる店だった。そこのマスターは元大手パソコンメーカーの社員の幹部であったらしい。余談ではあるが場末のバーや角打ちのマスターのエンジニア率は何故か高いのだがその理由を知っている方は是非連絡してほしい。

 中華料理屋はもう一杯!と言う店名だった。恐らく夫婦で営んでいるところでそこではいつもレバニラ定食を食べていた。

 夜は夜で神田や神保町で飲むことが多かった。神保町ではさぼうるというお店でよくアイスレモンかイチゴミルクを飲みながら大学の課題をやっていた。最近は喫茶店なのに並ばないといけないらしく、社会人になってからはそのさぼうるがある道から2つ曲がった所にあるラドリオにたまに行くようになった。こちらも今では並ばないといけないらしく純粋に喫茶店を愉しめたあの時代に感謝したい。

 神田の飲み屋は敷居の無い店では学生に対してのあたりが優しく、大人達の飲み方を見て学ぶきっかけがあるのは珍しくなかった。仲間と3人で飲んでいると隣で一人でニヤニヤしながら飲んでいる中年の男性がいて、嫌な寒気がしているといきなり立ち上がり「君達の話を勝手に横から聞いてたけどとても懐かしい気分になった。ありがとう」と言っていきなり私たちのテーブルに1万円を置き、去り際に「あとは楽しんで」と言われたのは奇妙で面白い思い出。

 また、ある居酒屋で当時19の時に仲間と飲んでいるといきなり警察が入ってきて「飲酒運転と未成年飲酒防止パトロールです!御協力ください!」と言って入口側の客席から何かを客に説明して確認しながら徐々に我々が座っている奥の席へ近づいてきた。「あ、終わった」と思ったらいつも温厚なマスターが鬼の形相で「お前らいつまで休憩してるんだ!早くそのテーブルの客の皿下げたらカウンターに入れ!!」と怒鳴ってきた。驚いて何も言わず食べかけのツマミやお酒をお構いなしにガシャガシャと重ねカウンターに駆け込んだ。
「営業中だから早くしてくれ」とマスターが警察に言うと警察も嫌な顔をしながら僕らを睨んで店を出ていった。それ以降社会人になっても居酒屋に警察が入ってくるのを一度も見たことはないが、恐らくは通報が入ったのだろうと思った。

 その日は終電までカウンターに立ちお酒を飲みながら洗い物をしていた。

 飲み方も上品な大人が多く、それに気付くのは大学が中心から外れた場所に移転してしまってからだった。
年配者が店を育て若者を店が育てる。そんな環境が神田にはあったのだ。恐らくその頃にだらしなく飲む大人を見ていたら私は今みたいにお酒を飲んでいなかったと思う。

ビール飲んで苦っ!、焼酎飲んで辛っ!、おっさんの自慢話うっせ!

 今は2次会3次会まで誘っていないのに付いてくる上司は多いらしく、昔学んだはずのお酒の飲み方も若い時の苦労も忘れバブル期の都合のいい話だけを令和に持ってきて学びを止めた識者が多くなった。

 知識もないのに会社や上司に権利ばかりを主張する部下後輩がいる一方で信頼関係を築く事をしなかった識者は信頼関係0の部下や後輩にお気持ちを表明し、ハラスメントと言われたと嘆く。

 神田で教えてもらった部下や後輩、家庭を持った時の飲み方
・1次会で潔く帰る。できれば会計くらいのタイミングで先にお金を置いて店を出る
・2次会以降は先輩上司や仕事の愚痴を言う為にある物と思い、誘われても腕を捕まれ誘われない限り帰る
・どうしても飲みたいときは1人で飲めるカウンターの店に入る
・後輩や部下に慕われたければ会社で説教しても飲み屋では絶対に仕事の話はしない。説教は以ての外
・家で待つ人がいて0時を回りそうになったら小料理屋にいたらお土産を包んで貰ったりコンビニでもいいから絶対にケーキを買って帰る
・起きて待ってたら待っててくれてありがとうと気持ちを伝える

 今の時代には学ぶ必要はない事かもしれないが当時の私は、お腹が出ていない大人がウイスキーを飲みながら大人の余裕を漂わせ語る姿が相槌の言葉すら見つからない程に格好良く見えたのだ。

 社会人になった今、あの頃憧れた大人たちを思い出す為ここに文を残したいと思った。

今宵も素敵な夜を

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