なんだかなぁ

今日のは自戒の意を込めるのと、読んだ人に「自分はどうかな?」って思ってもらえたら嬉しいなって思って書こうかと思う。

昨今、インターネット環境の充実、発達により様々な情報が手に入る時代になっている。ほぼすべての人が携帯電話、スマートフォンを持ち、インターネットを用いてニュースサイトやSNSを使用していることだろう(少なくともこれを読んでいる人は)。暇な時間をそういったことで潰していることも多いと思う。僕自身そうだ。Twitterのタイムラインを何気なく眺めていると色々なことが知れて、社会の状態がなんとなくわかったり、友達や興味ある人の何気ない呟きも見れたりして気がつけば時間が経っている。今はその時間の使い方の有意性をどうこう言うつもりはないし、個人の自由やんって思っているのでよしとしよう。問題は、情報が簡単に手に入るからこそ、その情報の信用性が曖昧であることだ。

前述の通り、情報が手に入りやすい環境が整い、様々なニュースサイトが存在している。その分、書き手も多数存在している。ということは、その中にも完全に中立的な立場で物事を俯瞰して物書きができる人間が存在しているかどうかはわからないのだ。つまりニュースサイトに存在する記事は、個人の主観が入って書かれるものが多い。書き手の思想や記事に対するプロット(構成)が先行して物事や出来事を書いてしまう可能性が少なからあるということだ。書き手だけではない。サイトの運営者や編集部による検閲もあるだろう。そこを通ることによってそのサイト、編集部の思惑通りに記事を書きかえられている可能性もあるかもしれない。その体制事態は古くから存在する情報媒体、新聞を見ると顕著に表れている。

新聞は新聞社によって作られている。会社の方針や思考があるだろうし、会社の運営側が社の方針に沿っていないような内容だと修正されていると思う。というのも同じようなジャンルの内容(というか思い描いてるのは政治的な内容)において、ある程度の報道方針があるほうが一貫性が生まれるからだ。考えてみて欲しい。毎日毎日同じ新聞の記事を読んでいるのにもかかわらず、論調が日によって変わっていってしまう。そんな新聞に載っている記事に信用が生まれるだろうか。やはりある程度の一貫性がないと情報に信用度が生まれない。信用を生み出すためには、検閲というのは必要であると僕は考える。が、一つの社の新聞記事だけを読むことはおすすめしない。理由は簡単。前述の通り校閲を通っているからこそ、論調、思想が偏ってしまう可能性がある。昔から新聞は2社以上とった方が良いと言われる所以だ。物事をフラットに見つめるために、異なる報道方針から同じ内容の記事を見てみると言いたいことや抜き出しの仕方が全く違っていたりするのだ。実際比べて見てみるとおもしろい。こうは言ったが新聞は情報元がしっかりしていると思う。新聞記事の危険な点は「一つの新聞の記事だけ読んでいると偏って物事を見てしまうかもしれない」という点だけだろう。ではそれ以外の簡単な情報元、Twitterはどうだろうか。

Twitterには国内4500万人(18年10月時点)、世界になると3億4000万人(20年1月時点)の人が存在しているという。利用者の主な世代は若い世代、10代20代の若者たちであろう。そこをターゲットにした企業や個人商店のマーケティングに利用されたり、友達との交流、有名人、芸能人たちの呟きを見たりするのに使用される。その中でも大きな影響力を持っているのはインフルエンサーの存在だ。インフルエンサーはフォロワーが多い人を指す。フォロワーが多い彼、彼女らが「~っていいよ!」と呟くだけで瞬く間に拡散され、若い世代に認知される。認知されるとその中の何人かは「~がいいって言ってたし使ってみようかな」となるわけだ。その気持ちは僕もすごくわかる。彼、彼女らはそれほどの影響力を持っているのだ。


がしかし、ちょっと待ってほしい。


本当に彼、彼女らインフルエンサーが言っていることは全て信じてもいいのだろうか。僕も含む若い世代は早い時期からSNSに触れ、慣れ親しんできた。だからこそわかる。
フォロワー数=信用度 であるという認識があることを
彼らの発言を数万、数十万という人々が目にし、拡散することでさらに多くの人の目に止まることになる。すると、その発言の正誤はともかくとして、内容が真実であるということがまかり通ってしまうのだ。
これはとても危険である。本当のことはわからない、がインフルエンサーが発言していたからそうなんだろう。と思ってそのまま拡散されてしまうと大多数の人が同じように思ってしまい、その発言自身が真実であると誰も疑わなくなってしまうのだ。そういった事象を長いSNS生活で見てきた。どれだけ時が経っても、繰り返して起こってしまう現象なのだ。
これを解決するためには、ユーザーである各々が情報自体の信憑性を確かめる癖をつける他ない。Twitter自身、1つのTweetにつき140字しか使用することができない。だからこそ文字数を削り取るために言いたいことを極限まで圧縮して呟く。するとその結論に至るまでにあった事情や過程が見えなくなって、各々が思考する余地が入りにくくなってしまう。そうするとその物事の本質が見えにくくなってしまうのだ。出された情報を鵜呑みにせず、情報元や他のサイト、他の人がどのような発言をしているかを調べるようにしないといけない。(しかも現在はアカウントの売買等も行われているらしい。インフルエンサー=信用のおける人物というのは全てのアカウントに当てはまるとは限らないようになっている)

どうだろうか。自分自身当てはまる点はあるだろうか。僕はめちゃくちゃある。「わぁ~バズってる~ポチ~(ふぁぼりつ)」なんかよくある。がしかし、頭のなかの隅にでも(もしかしたら本当のことなのだろうか)という疑問をいつでもおいておきたい。そして与えられる情報をそのまま受けとることなく、思考することを常々意識していきたい。

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