Feel so goooood!
正直な自分を責めない|画鋲靴子 https://note.com/yoidoreonnayu_/n/n3a17c7e96b4e
これ読んでめちゃくちゃスキ♥️連打したくなった…なぜ一回しか押せないのかすごく悔やんだ…まじで。
というのはさておき、なんでそうなったかっていうとそれこそ「フィーリングが合ったから」である。
は?と思われるだろう。靴子ちゃんが書いている内容を僕の受け取ったなりにまとめてみると
フィーリングがどうしても合わない人とか物事でも、そんな時もあるさと自分自身を責めないで。そんな気分の日もあるよって思ったら楽になるよ。
だ。
この感覚、めちゃくちゃ自分自身楽になると思ったし、すごく素敵やなぁって思った。自分に取り入れたいなぁって。
さて、ここまでは感想やったけどなにが言いたいって
フィーリングが合う(僕的には「フィールが合う」)ってすごく重要な感覚じゃないのかなってこと。
なんでこう思うかって、これに気づかせてくれたのは僕の音楽の、ベースの師匠の教えからだ。
師の言葉は僕にとても衝撃を与えたのでほとんどそのまま覚えている。
師匠「まっすん。音楽の楽しみっていうのはな、バックグラウンドの全く違う、存在も別の人間が道筋の決まった楽曲の中で自己表現しながら、お互いの音を聴いて楽曲を造り上げていくことやねん。全く別の存在の人間が、「せーの」で演奏する中で起こる化学反応、例えば自分の弾いたフレーズに対して反応をくれたり、リズムに対するフィールが同じようになったりだとかするととてつもなく気持ちいい瞬間がやってくる。その瞬間を知ってしまうとな、やめられへんくなってるねん」
本当にこの通り。演奏していてフレージング自体は変わっていなくても、お互いのフィールの違いや反応があると気持ちいい瞬間って絶対やってくる。それをまさしく言語化して師匠は教えてくれた。
と、同時に僕は思った。
これって普段の付き合いでも言えることなんじゃない?って。
僕は他人の趣味嗜好や、考え方なんかになんとなーく漠然と「ええなぁ」とか「好きやなぁ」って思うことが多々ある。強いていえば、文章やSNSでの呟きでも言い回しや行間、ノリなんかでもその人自身のことをそう思うことがある。
それを端的に表すとフィールがあっているということなのだとおもう。じゃあそのフィールがあうってどんな状態なんやろうか。
それは自分の感覚として取り入れたい、組み入れたいと積極的に思うこと、自分の感覚や思考に合った考え方や表現であることなのだろうなと。
この点を見つけれただけでその人のことをもっと知りたくなったり、仲良くなってみたいなぁなんて思えてしまうのだ。
実際、考え方が好きやなぁ、おもしろいなぁと思っている人と話してみたり、思わぬところで思ってる事が一致したりして、なんやかんや仲良くなるケースがあった。
つまるところ
自分の感覚って自分にとっては絶対的に確かなものやなって。ある程度信用のおける物差しになるんやないかなって思うのだ。
僕はかなり自分の感覚に頼ってフィールの合う色々な人たちと仲良くしている。すんごい楽しい。時に合わない瞬間だってあるが、それはそれで「そういうこともあるよね~別の人間だもの」くらいに思って過ごしている。
それくらいがちょうどいい距離感なのかなぁとも思ったり。
なんにせよ、自分の感覚にちょっとでも合う人が見つけれて、仲良くなれたら今よりも少しだけハッピーになれるかもしれないよって話でした。