#角打ち文化について考える
文化とは人間の生活様式の全体であり、角打ちはまさしく文化の一つと言える。北九州が発祥と言われる角打ちの始まりは、1901年の八幡製鉄所の開業までさかのぼる。三交代で働く労働者にとって、特に深夜の労働を終えた者たちにとって朝から飲める場所など酒屋しかなかった。日本酒は升(四角い木の容器)を用いて量り売りされていた時代である。買った酒を升の角から飲む。いつしか、これを「角打ち」と呼ぶようになった。
関東に新たな製鉄所ができ、労働者が北九州から関東に移ると角打ち文化は広がっていった。一方、時代の流れとともに昔ながらの酒屋は減っていき、角打ちで一杯やるといった文化も消えつつある。2年前、北九州で84年もの間営業を続けていた「平尾酒店」が幕を閉じた。店主が亡くなったためだ。後継者不足といった問題も角打ちの減少に拍車をかけている。
仕事終わりにふらっと立ち寄り、一杯ひっかけて家へ帰る。気持ちを切り替える場所として、今も昔も働く者にとって大切な場所だ。そして、ここには人々の交流があった。決して、オンラインでは出来ない交流だ。角打ちを知れば、その町のことを知ることができる。昭和風情の残る数少ない文化を絶やしてはいけないと感じ、私は角打ちで一杯ひっかけた。
◆プロフィール
黒瀬稜太(くろせ りょうた)
中津市在住。1991年生まれ。「今日もお酒日和」を執筆して1年が経つ。メディアプラットフォーム「note」にて過去作やその他記事を掲載。
先月号のスマイルに掲載された「World Beer Cup」はこちらから読めます。
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