黒瀬リョウタ|RyotaKurose
自分自身のあれこれを発信。自分の過去や日常、これから先のことを包み隠さずさらけ出すマガジン。たくさんの人に読んでもらえると嬉しいです。なんか恥ずかしい気もするけど。
僕が暮らす中津市のこと、大分県のことを知ってもらうためのマガジン。大分県に訪れる人が増えればいいなーという思いで書いています!
中津市で発行されているフリーマガジン『スマイル』に掲載されているコラム「今日もお酒日和」をまとめています。見逃した方も過去作を見ることができます! 是非、見てみてください^^
一日の唯一の楽しみは美酒佳肴です。初めまして黒瀬リョウタです。 誰?って人が全員だと思います。 だって、有名人でもなければ作家でもなく、ごく普通の一般人ですから。 黒瀬リョウタについて 1991年、大分県中津市生まれ。今も中津市で生活しており、妻と娘と毎日楽しく暮らしています。実家は水道設備の工事会社で、私自身もその会社に勤めています。至って普通の一般人ですから、このnoteを見てくれた方は「誰だ?こいつは」と思っていることでしょう。ということで、簡単に自己紹介をさせて
週末の夜は、早く眠ってしまうともったいない気がしてしまう。本を読んだり、動画を見たり、資料を作成したり。自分の時間を過ごしたくて、眠るのがついつい遅くなってしまうのだ。 私は晩酌をしつつ、自分の時間を楽しむことが多い。よく冷えたラガーに、程よく冷やしたセゾン、おつまみはチーズや生ハムが定番だ。ただ、夏も過ぎ、夜も過ごしやすくなってくると、晩酌をゆっくりと楽しみたくなる。 スタウトと呼ばれるスタイルのビールがある。焙煎したモルトを使用しており、色は黒色で、一般的にアル
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が日本の経済に打撃を与えたことは記憶に新しい。世界でも同様に、ロックダウンによって街から人が消え、経済に大きな影響をもたらした。飲食店はつねにシャッターが閉まっており、これは日本だけでなく、海外も同じだった。多くの飲食店が休業を余儀なくされたのだ。 飲食店の休業はビール会社に大きな影響をもたらした。ビールの出荷本数が減少するのは当然であり、ロックダウンがいずれ終わったとしてもビールの卸先を失ってしまうのは明白だった。そこでオランダのビ
昭和20年8月9日11時2分。長崎市に原爆が投下された。今年の平和記念式典ではイスラエルの大使が招待されなかったことへの反発により、アメリカを含むG7各国の大使が異例の欠席となった。 来年、日本は戦後80年を迎える。終戦時に成人していた戦場体験世代は、今後数年でほぼゼロになるという。戦争が「記憶」から「歴史」へと変わろうとしているなか、記憶を風化させず、語り継ぐことへの重要性が増している。 「カミカゼ」というカクテルがある。神風特攻隊の神風だ。このカクテルは戦後のア
※2024年11月10日 タイトル変更しました。 あんなに楽しみだった盆休みが終わってしまった。5日間の短い休みだったけど、週6仕事の自分にとっては長期休暇だ。 妻が暑いから盆の間は家でゆっくりしようと言ってくれた。 毎日汗だくな自分にとってはありがたい言葉だった・・・のに! 初日からめちゃくちゃ出掛けるやん!! しかも、2日目は島にいましたよ。 家で溶けたアイスクリームのようにぐうたらするつもりが。 姫島村に上陸しちゃってました。4年ぶり3度目の上陸です。 村
仕事終わりのビールが美味しい季節になった。自分で作ったアテをつまみつつ、冷えたビールで喉を潤す。ただ、ビールで喉を潤すだけではもったいないと思い、年初にビアテイスターの取得を今年の目標に掲げた。 6月中旬、ビアテイスターの資格取得を目指して大阪へと向かった。この資格はビールの出来の良し悪しを客観的に評価し、論理的に評価理由を説明できる人に対して与えられる。当日は数多くあるビアスタイルの特徴、ビールの色度やアルコール度数、アロマや味、オフフレーバー(あってはならない匂いや
文化とは人間の生活様式の全体であり、角打ちはまさしく文化の一つと言える。北九州が発祥と言われる角打ちの始まりは、1901年の八幡製鉄所の開業までさかのぼる。三交代で働く労働者にとって、特に深夜の労働を終えた者たちにとって朝から飲める場所など酒屋しかなかった。日本酒は升(四角い木の容器)を用いて量り売りされていた時代である。買った酒を升の角から飲む。いつしか、これを「角打ち」と呼ぶようになった。 関東に新たな製鉄所ができ、労働者が北九州から関東に移ると角打ち文化は広がって
皆、誰しも憧れの人がいるだろう。 本当のところを言うと、誰かに憧れを抱かれる存在でありたいと思うけど。 あなたにも憧れの存在がいるはず。 野球少年が大谷翔平に憧れているように。 私にだって憧れの存在はいるのだ。 え、誰かって? 酒飲みにとっての憧れの人はこの人。吉田類。 高校を卒業後、絵の勉強のためにニューヨークやヨーロッパを放浪。 30代半ばまで芸術の都パリでシュールアートの画家として活動しており、開国後はイラストレーターとして活動。 なぜ、私がイラストレー
先月、世界で最も権威のあるビールコンペティション「World Beer Cup」がネバダ州ラスベガスで開催された。世界最大のビール審査会での受賞は醸造家にとっての憧れであり、日本からも数多くのビールが出品され、金賞3銘柄を含む8銘柄が受賞した。 その中でもフルーツウィートビール部門で銀賞を受賞した「かぼすセゾン」は、大分県別府市に醸造所を構えるBEPPU BREWERYのビールである。「Japan Great Beer Awards 2024」での金賞受賞に続く快挙であ
大分県といえば麦焼酎。全国で有名な「いいちこ」や「二階堂」は大分の銘酒です。地元の者なら八鹿酒造の「なしか」も馴染みある酒だろう。 そんな麦焼酎が有名な県ですが、最近ではクラフトビールなんかも人気です。実は大分県内にはクラフトビールの醸造所が7ヶ所もあり、一堂に会したイベント『おおいたクラフトビアガーデン』が4月29日、大分市府内町にある祝祭の広場にて開催されました。 残念ながら当日は雨。中津市から高速道路に乗って向かいましたが、相変わらず霧が凄かったです。まぁ、自
先日、不滅の福澤プロジェクト「中津城下町まち歩きマップ」完成プレイベントに参加してきました。 不滅の福澤プロジェクトとは、一万円札として史上最長の40年活躍された福澤諭吉の功績を2024年の肖像交代をきっかけに”オールなかつ”で後世に伝えていくプロジェクトらしい。 あまり知られていないけど、大分県中津市は福澤諭吉の故郷なんですよ。 そして、「中津城下町まち歩きマップ」とは、福澤諭吉が創立した慶應義塾の山内教授が監修した地図。諭吉先生が歩いたであろうルートを歩きながら
3月下旬、友人から結婚したという連絡があった。小学生の頃からの友人で、今でも男4人で遊ぶ仲だ。彼は東京で働いているため頻繁に会えないが、年に数回はお酒を飲みながら近況を話したりしている。お付き合いしている女性がいることは知っていたので、結婚のしらせは嬉しかった。ただ、シンガポールへの転勤も同時に知らされた。 転勤前に中津で一度飲もうということになった。今回は男4人ではなく、彼の奥さんも一緒だった。初めて会うため緊張したが、すごく社交的な方で、すぐに打ち解けることができた
ハナタレ⁉ 明治18年に創業して以来、黒木商店は宮崎県高鍋町でひたむきに焼酎造りに励んできた。ホワイトオーク樽で熟成させた「百年の孤独」は、ウイスキー樽での長期熟成を行ったプレミアム焼酎であり、当時としては珍しく、焼酎ブームを巻き起こした黒木商店の看板商品だ。また、「中々」や「㐂六」といった商品も人気で、全国にファンが多いことがうかがえる。 他にも「爆弾ハナタレ」という商品がある。変わったネーミングの商品であるが、「ハナタレ」とは初垂れを指し、焼酎の蒸留過程で蒸留器から
忙しくて、更新できていませんでした。 3月も終わろうとしていますが、2月の出来事を書こうかと(笑) 2月は外飲みが多く、宅飲みが恋しい日々を過ごしていました。 さて、「夜な夜な昆布で締める。」でも書きましたが、今年は酒の肴にこだわろうと思っています(料理は全くなので、妻には白い目で見られますが・・・)。 冬といえば、白子となまこ。 この時期、仕事帰りにスーパーへ寄ることが増えました。 ただ、白子は値段が高いし、下処理も大変なのでパックに入ったなまこを買う率が高いです。下処
時代を超えて愛されたお店 浅草の中心、浅草一丁目一番一号に神谷バーはある。創業は明治十三年、時代が移り変わっても、庶民の社交場として多くの人に愛されてきた。 神谷バーと言えば、電気ブランと名付けられたカクテルが有名である。明治二十六年に誕生したこのカクテルは、ブランデーをベースにジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされている。「ブラン」はベースのブランデーから、そして「電気」は明治時代、まだ目新しかった電気から名付けられている。目新しいものといえば、「電気〇〇〇」
インフルエンザB型からやっと復帰しました。 新型コロナウイルスに罹った時と同様、少し味覚がおかしくなり、塩味を強く感じるようになりました。 大好きなお酒も1週間ほど我慢し、ポカリスエットが私の愛用ドリンクとなりました。 冷えピタを貼り、ベッドの上で、せっかくならnoteの更新をしようと文章を考えていましたがこれといったネタもなく断念。 結局、地元のフリーマガジン『スマイル』への掲載コラムをアップするだけとなってしまいました。 これではマズい・・・。 短くてもいいので少し