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相手の話を聞く力

最近、心にとまった”聞き方”にまつわる話をシェアします。

河合隼雄さんの「こころの声を聴く」という本の中に、

一つ一つ熱心に聞く、それはだめなんです。そういうふうに聞くと、話がそこに固まっていくわけです。そうすると、そこだけが一番大きいことになってしまってだめなんです。ぼわーっと聞いているといいんですね。そうすると、そんなもん全部超えて、何か動き出すわけですから。

こころの声を聴く


と書かれてありました。臨床心理学者で、聞く専門家の河合さんですが、集中しすぎるのではなく瞑想な感じで聞くのが大切、ということなのでしょうか。

そして、もう一つ、子安美知子さんの「モモを読む ー シュタイナーの世界観を地下水として」から。「モモ」はドイツの作家ミヒャエル・エンデによる児童文学作品で、世界中で翻訳されている本です。その「モモ」をシュタイナーの世界観で読み解いた子安さんの本の中にも、”相手の話を聞く”力について書かれてあります。

「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした」
話を聞くなんて、誰にだってできるじゃないか、とみなさんは言うでしょう。
ところが、作者は「それは間違いです。本当に聞くことのできる人は、滅多にいないものです」と言い切ります。

モモを読む


そして子安さんは、シュタイナーが説く「他の人間の語る言葉に耳をかたむけるありかた」と照らしあわせます。

そのさいには、自分自身の内なるものが完全に沈黙するようになる習慣が、身につかなければならない。だれかが意見を言う、他の人がそれを聞くとき、ふつうは聞く人の心のなかに賛成、反対のどちらかの反応がうごめくものである。また多くの人たちは、ただちにその賛成や、とくに反対の意見を外に表わしたい気持ちにかられてしまうものである。

モモを読む

エンデ氏は、
「ひとの話に聞き入る力、その秘密は、自分をまったくからにすることにあります。それによって、自身のなかに他者を迎える空席ができます。そしてその相手をこの空間に入れてあげます。モモは、そうやって彼女のなかに入ってくるものが、良いものか悪いものかと問うことをしません」

「こうして人間は、自分をまったく無にして他者の言葉を聞けるようになる。自分のこと、自分の意見や感じ方を完全に排除して。没批判的に聞き入る練習をしていくと、しだいに、その人は他者の本質と完全に融けあい、すっかりこれと合体する。相手の言葉を聞くことによって、相手の魂の中に入り込む。」

モモを読む


この”聞く”練習はやがてメディテーション(瞑想)とも名付けられるようになったそうです。

ケン先生もよく「ジャッジしない」という言葉を使います。
ヨガのサマディも一つになることを意味します。
集中しすぎず、瞑想の心もちで、ジャッジせず、対するものと一体になることを目指すということでしょうか。

昔、マイソールでシャラート先生のカンファレンスが始まる前、生徒達がザワザワしていると、シャラート先生は椅子の上で蓮華座になり、その場が完全に静寂するのを待っていらっしゃいました。

そしてある時、こう話されました。
「家に誰かがくれた言葉が飾ってあるのですが、
“don’t talk until you have perfectly silence. “
“完璧な静寂が訪れるまで、話をしないように”
という言葉ですが、とてもいい言葉だと思います。」

これは他者の声を聞くときの話ですが、自分の声を聞く時も同様、大切なことだと思いました。


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