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cheerioの超個人的レビュー第8回『河合その子:悲しい夜を止めて』
前回まで個人的好きな思いが強すぎてレビューも個人的になってしまいました。ここで一旦初心に返って。
今回はおニャン子クラブ会員番号12番、河合その子さんの5枚目のシングル『悲しい夜を止めて(作詞:秋元康 作編曲:後藤次利)』です。
このシングルは1986年10月22日発売です。以前レビューしたようにこの曲がリリースされた時は福永恵規さんに夢中だったので、リアルタイムでは聴き込んでいなかったように思います。僕が中学生になって発売されたベストアルバム『Dedication(1988年1月1日発売』を買って、そこからハマった覚えがあります。
河合その子さんはおニャン子の中で最初にソロデビューしたわけですが、当時の僕は、彼女のことをいわゆる「アイドル」という感じでは受け止めていませんでした。キーボード使っていたせいもあるかもしれないんですが、何だか宙ぶらりんな感じ、男性で言えば吉川晃司さん的な。でも世間的にはアイドルだったんでしょうね。
さて、『悲しい夜を止めて』に話を戻します。作詞は秋元康さん。この曲も歌詞が素晴らしい。ストーリーとしても素敵なんですが、言葉の選び方、並べ方が素敵です。
隣で眠っている女性を残してひっそりと別れを決めて出ていく男性。彼女はその男性の目線で歌い上げていきます。
好きだとか愛しているとか、そういう言葉は出てきません。想いをつらつらと日記のように羅列し、気持ちの説明をしているだけの昨今の歌詞とは全く違います。
本当は歌詞を全て掲載したいところですが、著作権等の問題もありそうなので、部分部分でしか説明できないんですが。
隣で眠っている女性を起こさないように右の腕をずらす、癖のあるドアを音を立てず開けて、部屋を出ていく。最初のAメロの部分だけで物語が出来上がっています。二人の関係性なんて、この後も説明されません。ましてや主人公の男性の彼女なのか浮気相手なのか不倫相手なのか、そんなことも全く説明されません。主人公の男性は「もっと素敵な誰かに抱かれる夢見て」と思いながら、ただひたすらに車を走らせるのです。
主人公自身が(彼女がもっと素敵な誰かに抱かれるという)「夢」を見ているのか、それとも彼女に対してもっと素敵な誰かに抱かれる夢を「見て(眠っててね)」と思っているのか。そこも定かではない。ファルセットの入り方では前者のように感じないでもないですが。
けれども、なんとも言えないセンチメンタルさとダンディズムさを感じます。自分には彼女を幸せにしてあげれない。男として自分自身をそのように見極めることは実に難しいこと。欲望や感情に流されてダラダラと過ごすこともできただろうに、主人公は決意して出ていく。
そしてただひたすら車を走らせる。男の性というか、切なさが身に染みます。
この曲を歌っているのが河合その子さんというのも意味があることです。はかなさと強い意志を同時に感じさせる表情を持つ彼女だからこそ、ストーリーテラーとしての「作品」が輝くのです。
曲が始まり、部屋を出て行くところまでは、ほぼ実際の時間経過と一緒な感じですが、たかだか数分の曲の中で、何時間もいろいろ想いを逡巡させながら車を走らせているかのような感じになります。リスナーにこのような感覚を覚えさせるのも、言葉の並びが秀逸だからでしょう。
さて、タイトルの『悲しい夜を止めて』の【止めて】の部分ですが、これはいまだにどういう意味なんだろうと考えることがあります。主人公は気持ちを代弁するかのように車を走らせるんですが、最後の最後でブレーキを急にかけ、悲しい夜を『止めた』で作品が締められます。最後のリフレインで「グッバイ・ララバイ」の歌うパートが変わっているのも最後の緊張感を高めます。
しかしタイトルの意味する「止めて」は、「止めて(みた)」のか、「止めて(欲しい)」のか。
同じモチーフで僕が小説なり歌詞なり作るとしたら、悲しい夜を止めるためにはアクセルを踏み続けたまま崖なり海なりに飛び込むくらいのことしか書けないです。でも秋元さんはあえてブレーキをかけさせたのです。
ブレーキをかけて車を停止させた、その後。
主人公はおそらく目を閉じてしばらくそのままでいたんだろうと思いますが、現実的にはずっとそのままでいるわけにはいきません。
ゆっくり目蓋を開いて再び車を発進させるその瞬間。
この曲の物語はそこから始まるんじゃないだろうか、と思うわけです。