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「お前だからこそなんだよ」って話。
城山三郎さんの『少しだけ、無理をして生きる』という本を読みました。
渋沢栄一、広田弘毅、浜口雄幸などの強く大きく生きた人間の生き様が書かれた本なのですが、私は渋沢栄一以外のあまり身に覚えがなく、それでも読み進めていくと彼らの事がどんどん好きになっていきました。
第2章「人は、その性格に合った事件にしか出会わない」は特にお気に入りの章です。
渋沢栄一とその従兄弟である喜作の歩んだ人生の違いを書いているのですが、これが本当に面白い。
とにかく渋沢栄一という男が面白い。
地元でクーデターを起こそうとしていたがバレてしまい、京都まで追われるはめになり、そこで後の15代将軍一橋慶喜の家に匿ってもらう事になる。
渋沢栄一は好奇心旺盛でいつ追い出されるか分からない境遇のくせに「この家はどうやって運営されているのか?兵力は?稼ぎは?賄いは?」みたいな事をせっせと調べては「俺だったらこうする」という企画をどんどん上役へ投げていく。
でも誰も渋沢栄一なんて男は知らないから、その建白書(企画書)は破られては捨てられる。
それでも渋沢栄一は書く事をやめない。
それがいつしか当主の慶喜の元に届き「中々面白い事を書いている。こいつにやらせてみよう」っとなる。
すると見事にやってのける。
そうやって渋沢栄一の道は開けていく。
喜作は血気盛んな男だったため、そこで剣の修行に励み腕を上げていく。
後に幕府から陸軍奉行支配調役という位を任され、鳥羽伏見の戦いなどの激しい戦争に身を投じていく。
しかし渋沢栄一は戦争に縁がない。
戦争勃発の際、渋沢栄一はヨーロッパにいたのだ。
渋沢栄一の性格や資質を見込んだ慶喜がパリへの使節団に一緒に同行するように命じたからである。
日本に残っていたら戦争に巻き込まれ、将軍慶喜の近影隊の1人である栄一は討幕派に殺されていたかもしれない。
渋沢栄一の性格による人生の積み重ねが戦争という事件を退けたのだ。
一方で血気盛んで剣修行に励んでいた喜作は喜んで戦争に身を投じていく。
人はその人の性格に合った事件にしか出会わない。
まさにそれを立証するエピソードだ。
地元を追われて一橋家に拾われるまで2人の運命は似通っていた。
ただ性格による人生の積み重ねが2人の出会う事件を変えたのだ。
性格が違うということは人生の積み重ねが違うという事であり、生きているとそりゃその人なりに辛い事もある。
なにか事件に遭遇した時「なんで俺なんだ」って思うのではなく「俺だからなんだよ」って思える様になった。
俺は俺という性格に合った事件に遭遇する。
良くも悪くも自分が蒔いた種だ。
しっかりとぶつかってやろうと思った。
そういう決意をくれた本でした。
渋沢栄一は吸収するのに必死で苦難を意識している暇がない男だった。
俺もぶつかって学ぶのに必死でそれを苦難と認識する暇のない男でいたい。