ピクニックパパの緑地めぐり 曇りならば上野公園
実利的テーマ ピクニックvol.2
曇りの日が続き、一度雨がふりだせば梅雨の幕開けではという6月中旬
そんな日のピクニックは雨が降ってくることも考慮して外出したい。
上野恩賜公園と聞けばまずはパンダの顔が浮かぶであろう。もちろん動物園の存在もこの公園の大きな特徴ではあが、
それ以上にこの地に立てば壮大な歴史を感じずにはいられない。
そして、日本にとって非常に重要な文化の発信地なのである。
園内の美術館は国立西洋美術館をはじめ、東京都美術館、上野の森美術、すぐ近くにには黒田清輝記念館っと4箇所もあり、東京国立博物館、科学博物館、国立文化会館などそこまでそろえなくても、、っというほど集まっている。
歴史的な側面から見れば江戸初期から天海により東叡山寛永寺が建てられれ、江戸城の鬼門を守り代々の将軍の御霊を守る場所であった。犬将軍家綱の墓の前に立つ門は現存している。 そして、幕末には佐幕派の彰義隊と新政府軍による上野戦争の舞台となり靖國神社の真ん中に銅像がある大村益次郎の指揮のもと一日で終結し、その時江戸期のほとんどの建物が廃とかした、、
あまり知られてないし、行く人もいないが東博の裏まで回るとその名残が随所に残っており江戸時代の情景に想像を巡らすことができる。
戊辰戦争後病院やら学校やら案はあったがポードワン博士がオランダ公国を通じて日本政府に公園設立を祈願したおかげで素晴らしい公園を散策できる。ありがとう!
そして、政府の官有地であった上野公園は大正13年の皇太子(のちの昭和天皇)の誕生日に東京市にげ下賜された。なので、恩賜がつきます。
西郷隆盛の銅像が有名だが、その他にも野口英世、ポードワン博士、アメリカ大統領記念碑などの銅像がいくつもあるし、大仏(顔のみ)、奇跡的に2度も戦火を逃れた東照宮と五重塔が栄華な時代を彷彿させる。
東照宮から五重塔はすぐ近くにあるのになぜか柵越しで直接真下にはいけません、、
明治、神仏分離の影響です。
簡単に説明しますと
東照宮の五重塔として江戸初期に完成
→明治時代に神仏分離によって神社から仏教的なものが排除(壊される可能性もあった)
→とりあえず隣の寛永寺の塔って事にして残す
→昭和に寛永寺から東京都に寄贈される
→そして結果何故か上野公園の敷地にある
何百年も場所は変わらないのに何故か遠く(柵越し)にあるのはこの為です。
ルールは大切ですが時に人を縛りすぎて本質を見失うことがあります。
摺鉢山古墳
名所ではないのでこの行いは稀かもしれないが、私は上野に来た時一度は園内にある摺鉢山古墳の上に立ちながら古代のこの地の繁栄を想像し、その後で上記の歴史、面前に行き交う人々が様々な目的を持って一同に集まるこの場所を見つめ物思いにふける。
少し標高があるこの地域は古くから陸地であり古墳がいくつもあったようだ。そして、この前方後円墳から目を細め、同じく江戸の裏鬼門を守り将軍家の菩提寺の増上寺方面をみながら芝公園内にある芝丸山古墳を思い出す。古代におけるこの地域との関係性などを想像するのもまた楽しい。
さらに脱線すると都内で古墳跡と呼ばれる場所はいくつもあり、その地に住む人々はその元の理由を忘れてしまっても、いまだに大切にされているところはたくさんある。
歴史に残るそれ以前より脈々と受け継いできた何かがその場所にはある
浅草寺は一番有名だ。柴又帝釈天や平将門の首塚の地下からも古墳の石室が発見されている。
かなり早口な説明でもっと深く掘りたい話がたくさんあるのだが今日はこの程度の説明で終えようとおもう。
私は歴史全般好きだが実はよほど真相が分からない縄文時代〜4世紀あたりは特にロマンがあって好きだ。
歴史に対する考え方や縄文の美しいさについてはまた改めて、、
泊りがけで一週間でも回り(抱え)きれない。そんな日本有数のエリアなのだ。
上京したばかりのころは毎週通いつめていました。今でも毎シーズン事、美術展示会があるたびに行ってます。
タイトルに戻ると 曇りの日、ピクニックに出かけて途中で雨が降ってもいつでも楽しげな建物に逃げ込めるのが上野の魅力だ。 そんな日はシートや弁当含め荷物をなにも持たない!
この日は大江戸線に乗って娘と2人、持ち物は財布とテッシュと折り畳み傘のみ。
花見の季節は皆そこら中にシートを広げているのでその仲間に入っても違和感はないが、それが終わるとピクニックをしている人などほぼいない。芝生のエリアが少ないし休日はかなりの人がいるので何やら落ち着かないのだ。
その為私は噴水広場でいつもやっている何かしらのイベントで食糧を買って不忍池まで歩き、その周辺の程よい木漏れ日のベンチを見つけてピクニックをする事にしている。
ずいぶん前だが、この日は日本酒のイベントをやっていた。
出店で蒸し牡蠣、焼き鳥、たこ焼きを買って席を探した。
不忍池のほとりを歩けば、まさにこの場所で行われた夏目漱石の「こころ」での有名なやり取りがいつも頭に浮かぶ、(精神的に成長をしないものは馬鹿だと告げるシーン)
よって少し詩的な感覚に襲われるのが常である。風に従い波紋をつくる水面をずっと追いかけて眺めいると、ふいに娘が走り出したので想いの糸はすぐにたち切れた。
池のボートには次来た時乗ろうと約束したが、
決裂、、辺りを見ればそんな親がゴロゴロ、、これは注意が必要です。
でも結果楽しかった。その写真を表紙にしました。