セゾン文化キーマンへのインタビュー

『セゾン文化は何を夢みた』(永江朗、朝日新聞出版、2010年)再読。

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 初版は2010年なので、もう10年近く経っている。出た直後ぐらいに読んで、興味深かった記憶がある。確かに、書かれた当時の2010年段階で、すでに増田通二は鬼籍に入っており、パルコ関係のインタビューや考察が抜けているのはいかにも残念である。けれども今思えば、2010年頃がセゾンの当時を知るキーマンはまだご存命の方々も多かったろうし、セゾンの記憶を記録に残しておくギリギリ間に合ったタイミングだったのではないだろうか。構想13年も無駄にはなっていない。

 インタビューを軸にまとめられた本ではあるが、インタビュー対談をそのまま載せているわけではない。インタビュー内容を引用しながら、著者自身の中で考察を深めてながら筆を進めていく形式である。本文の中でも触れているが、著者には西武百貨店内の書店部門で働いていた経験があり、当時の文化事業の中枢にはいなかったが、その周縁にいたことが、本文の内容に深みを与える要因なっている。

■気になった箇所の引用

おそらく、セゾン文化の高揚期、いわゆる文化事業に直接かかわっていない部門の社員たちは、自分もセゾングループの一員であることに誇りを抱きながら、「あの穀潰しが」という軽蔑と憎悪も持っていたのではないか。それはこの国の人びとの、直接お金を生まないものに対する感情 ー嫉妬と羨望と軽蔑と憎悪ー とも通底しているかもしれない。(P41)
「リブロで徹底的に意識させられたのは、イベントとプロパーの区分けをきちんとすることだった」と中村は言う。(P70)
セゾングループにとっての文化事業とは、プロパーに対するイベントだったのかもしれない。(P71)
美術館は道楽でもなければ販促の道具でもなかった。もっと積極的に、百貨店のなかで現代美術を紹介することによって何かが生まれると信じていたのではないか。価値あるものを並べるのではなく、何かを並べることによって新たな価値を生み出そうとした、と言い換えてもいい。(P110)
「高輪会の仕事の打ち合わせをしていると、西武百貨店の宣伝部の人たちがおもしろくてね。当時の宣伝部は東宝争議で会社を追い出された人なんかがいたの。 (中略) みんな新しいもの好きで、ちょっと反体制気質が充満している。あとで考えると、西武文化のルーツにはそうした宣伝部の人材があったと思います。」(P128 小池一子)
この時代に西武に行けば何かができると感じていた、と紀国は語る。1969年。(P166)

「僕はそこでよく堤さんと衝突した。たとえば、印象派の展覧会をやれば儲かるけど、そんなことのために美術館をつくったんじゃないことは重々承知しているわけです。で、印象派をもってこないでなにをやりますかというと、それは現代美術しかない。堤さんの言う文化というのは、現代美術の持つ、時代を変えていこうという問題意識ですから。そういう問題意識で文化と言っているわけだから。それと、企業文化という言葉も流行ってくるでしょ。日本人は文化という言葉を都合よく、安易に、曖昧に使っているけれど、文化とは何かと突き詰めて考えれば、本当の個人主義というときの個人の意味というのがわかってくると思う。そういう作業を個人個人がやらなきゃいけないわけですよ。堤さんが企業で文化ということを叫び続けたのは、文化を自分の問題として考えなさいよという問題提起だったのだと思いますよ。ところがあの人は、そういうかたちではっきりと言わないんだ。西武の苦しさというのは、堤清二と辻井喬がいて、そのどちらがしゃべっているのか社員にはなかなかわかりにくいことだろうと思う」(P168 紀国憲一)
紀国は堤に「文化に淫するな」とよく言われた。紀国もまた、「いい気になって、文化の仕事をしていますなどと大きな顔をしちゃいけない」と自分を戒めていた。セゾングループの凋落と崩壊は文化事業が原因だったと言う人がいる。しかしそれは事情を知らない人の誤解だ。紀国は「宣伝費の10パーセント」という枠で予算を管理していた。(P182〜183)
「西武百貨店文化事業部とはなんだったかというと、文化イベントのプロデューサーなんです」と紀国は語る。
「たとえば美術館では美術という文化メディアを通じて文化的事件を起こす。それがニュースになる。その事件をプロデュースすることが文化事業になる。」(P198)

■目次
セゾン系はじまる 1981年春に私が経験したこと

Ⅰ  アール・ヴィヴァン 芦野公昭に訊いて思い出したこと
Ⅱ リブロ 中村文孝を訪ねて気づいたこと
Ⅲ セゾン美術館 難波英夫に聞いて知ったこと
Ⅳ   無印良品 小池一子と会って思ったこと
Ⅴ    セゾンの子として 小沼純一と話して感じたこと
Ⅵ    西武百貨店文化事業部 紀国憲一を取材して見つけたこと
Ⅶ   セゾン文化とは何だったのか 堤清二と軽井沢で再会して分かったこと

時代精神の根據地として 堤清二
あとがき
セゾン文化の活動チャート
セゾン文化を追体験するためのブックガイド
キーワード・インデックス

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