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7.病人リスペクト!?ヴィクトリア朝時代の美の基準


ヴィクトリア朝時代の美の基準


ヴィクトリア朝時代(19世紀後半)は、ファッションと美の基準が大きく変化した時代でもあります。

この時期の美しさの価値観は、当時の社会的背景や文化、さらには病気の影響を色濃く反映していました。

特に結核(肺結核)が美の象徴として崇拝され、結核患者の外見が多くの人々に憧れられるようになったのです。

この現象を理解するためには、まずその背景にあった病気とファッションの関係について知ることが重要です。

結核と美の関係


19世紀の英国では、結核が非常に流行しており、多くの人々がこの病気に苦しんでいました
結核は、今でこそ治療可能な病気ですが、当時は原因が不明で、不治の病とされていたため、その死に対してロマンティックな感情が生まれていました。
結核にかかることが、美しさや才能の証として扱われ、特に上流階級では、結核患者が憧れの存在となったのです。

美しさの基準として、結核にかかることで「透き通るような白い肌」や「ほっそりとした体つき」が手に入ると考えられたため、
多くの女性たちが結核患者の外見を模倣しました。
白粉で顔を青白く塗り、瞳孔を広げるために危険な点眼薬を使い、さらにコルセットで締め上げて痩せ細った姿勢を作り上げることが流行しました。
このように、病気の外見が美の基準となり、結核の患者は美の象徴と見なされたのです。

19世紀のファッションと美の価値観


結核が美の象徴となった背景には、ヴィクトリア朝時代のファッションも大きく関わっています。
この時代のファッションは、細身で高身長のスタイルが理想とされ、身体的に「美しい」とされる姿勢が強調されました
特に女性の服装は、体型を強調し、細身に見せるためにコルセットを使うことが一般的でした。この服装スタイルは、結核患者が持っていた「華奢で儚げな美」を強調するために一役買いました。

さらに、19世紀の美の基準は、健康的な姿勢とはかけ離れたものでした。
病弱で儚げな外見が美しいとされ、痩せた体型が理想とされることが多かったため、結核の症状である体重減少や青白い肌がむしろ美しいとされました。

結核と社会的地位


結核が美の象徴となった背景には、上流階級における社会的な影響もあります。特に、芸術家や文学者など、知的で繊細なイメージを持つ人々の間では、結核にかかることがステータスの一環とされていました。名高い作家や画家が結核にかかると、その才能がさらに高く評価されることが多かったのです。また、結核で早死にすることが、天才的な美や才能の象徴と見なされることもありました。

このように、結核が社会的に高く評価されたことで、多くの女性がその美しさに憧れ、結核患者の外見を模倣するようになりました。実際に結核にかかることが理想とされた時代があったことは、現代の感覚では驚くべきことですが、当時の社会では、病気が美の一部として受け入れられていたのです。

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