司馬遼太郎の鹿野は❤
通りは水のように静かで
時々、京格子の町家や白壁に腰板という苗字帯刀身分の屋敷などが残っている
全体にえも言われぬ気品を持った集落なのである
鹿之介の跡を継いだ亀井茲矩が因幡の鹿野領主になったが…
牢人上がりの茲矩にとって思わざることだったのだろう
それだけに彼は良き大名になろうという新鮮な気分があった
その気分が鹿野をつくったと言っていい
この間、茲矩は領内の河川を改修し、新しい用水路を開削したりした
また耕地を増やすため潟湖の一部を干拓し…日光池は低湿水田地帯になっている…湖山池の一部も干拓し
また朱印船を立てて…タイ国や東南アジア諸国と交易し…
博多から漁師を夏泊に呼び海女漁を広め…
小藩でありながら、35年の短い治世で大きな治績を残した
と茲矩を大変好意的に記し、「路行く人にも気品が感じられる」と語っていますが
鹿野は祖父が生まれ育った町
孫の私まで誇らしい気分になりました
一方鳥取市では「藩主が惰眠を貪っただけの町など見る気もしない」と
車から降りなかったという証言もありますが
現代の自治体は大丈夫?😮