サイボーグ・リキシ

特注とはいえ、やはりスーツは動きにくい。
ニュー・カメアリにある廃マンションに着くと、脳内で通知音が響いた。
インナー・フォンを起動し、通話に応じる。網膜ビジョンに映る魔羅名栗(まらなぐり)親方が状況に似つかぬ陽気な様子で俺に語りかけた。
「おう、マロちゃん、着いたか」
「マロちゃん、は止めてくれと言っているじゃないですか、親方」
「つれないなあ、魔羅帯出汁(まろびだし)関」
「フルネームで言うのも止めてください。それに、元、ですよ。あなたね、俺が声をかけなきゃ今頃路頭に迷ってんですからね」
「ふうん。それを言うなら、お前をそんな体にしてやったのは俺だぜ」
「・・・まあ、そうですけど」
「お互い様ってやつさ。ほら、また送っておくから」
そう言うと、魔羅名栗親方はLINEツムツムのハートを送ってきた。親方は話がもつれるとこうやって煙に巻く傾向がある。
そんな体にしてやったのは、か。
俺は肘のブースターを隠す人工皮革(ダミー・スキン)と肌膚の境目を撫でながら思いに耽った。

今から3年前、AIの技術革新により、因果律が全て計算し尽くされ、神の不在が証明された。
全世界の教会や礼拝堂が破壊される事件が立て続けに起こった。人々は神を信じなくなったのだ。
その結果、日本では何が起こったか?
相撲における、神事という体面の形骸化である。
神聖なものとされていた相撲は単なる肉体のぶつけ合いに過ぎなくなったのだ。
ある日の取組で妙なものが発見された。
土俵にネジが落ちていたのだ。
ネジに足を取られた力士が、異物が落ちていたとして「物言い」をした。
その物言いは認可こそされなかったが、日に日にネジが見つかる頻度は増えていった。不審に思った相撲協会はある日、出場した力士全員に金属探知検査を行った。
その結果、驚くべき事に半数以上の力士から金属質の物体が発見された。
取組の最中、その中からネジが外れた力士が居たのだろう。
つまり、力士のサイボーグ化が行われていたのである。
神事としての誉れが失われた今、強さの追求になりふり構っていられないというのは、全相撲部屋の総意だった。
しかし、この問題は公にはならなかった。
協会が隠蔽をしたのだ。
反面、力士のサイボーグ化は横行した。
脚を逆関節に改造した力士が出場した際には、TV放送時に順関節に合成した映像が放送された。
下半身をホバークラフト化し土俵外に出る事自体を回避した力士が出場した際には流石に「待った」がかかったらしい。だが、この試合は公的記録には一切残されていない。闇に葬り去られたのである。
相撲の観戦客は従来よりもより「物分かり」のいい客しか招待されなくなった。情報の統制が図られていたのだ。
そして無論、俺の所属していた魔羅名栗部屋もサイボーグ化の温床であった。
「ちゃんこだけじゃ強くなれねェ」と、魔羅名栗親方が口癖のように言っていた事を思い出す。
肘にブースターを移植した俺は関取まで上り詰めた。
新聞や雑誌では俺の得意技は「ジェットてっぽう」だと評されていた。だが、実際はブースターで加速した「インチキてっぽう」に過ぎない。とはいえ、背に腹はかえられぬ。勝つ事が大事だったのだ、あの頃は。
サイボーグ相撲の栄華も長くは続かなかった。とある記者の告発により、力士のサイボーグ化は白日の元へと晒された。どうやら、角界の勝手を知らぬ新米記者によるものだったらしい。幸か不幸か、相撲の文化は終焉を迎えたが、他スポーツにおいてもサイボーグ化は問題視され、アスリートの必要以上の人体改造には歯止めがかかったのである。
角界を追われた者達は皆方々に散った。持ち前の体格とサイボーグ能力を活かして働く者、サイボーグ技術を利用した機械医療に目覚めた者、テーマパークの海上パレード要員になった者(ホバークラフトの彼だ)。行き場を無くし、犯罪行為に手を染める者・・・。
そして俺は、力士専門のバウンティ・ハンターとなった。

「おい、どうしたんだマロちゃん」
「マロ・・・いえ、失礼」
仕事前に昔の事を思い出している場合ではなかった。俺はこれから命の遣り取りをするのだ。
「親方、奴の情報を教えてください」
「ああ、今回の粛清対象は肩張飛(かたぱると)。その名の通り、両肩に機翼を持っている。臀部からのジェット噴射を推進力に、足裏のローラーを利用してカタパルト発進する取り組みスタイルの力士だ」
肩張飛(かたぱると)。俺が現役時代に立ち会った、大牛ほどの体躯を持ち、鳴り物入りでデビューしたアメリカ出身の力士だ。
「・・・ナーバスになるのもわかる。肩張飛(かたぱると)を引退させたのはお前だからな」
「・・・ッ!」
新進気鋭の超大型力士。
肩張飛(かたぱると)を倒すには、まず機翼を破壊する必要があった。機翼さえ破壊すれば肩張飛(かたぱると)の機動力を削ぐ事が出来る。だが、激しい取り組みの中でそのような希望的観測は毛ほども役には立たない。俺のジェットてっぽうは機翼には届かず、肩張飛(かたぱると)の左肩を破壊した。
三角筋断裂。
一度怪我を負った力士が再び第一線に返り咲く事は極めて稀だ。無論、これは他のスポーツでも同様だろう。
見舞いに赴いた際、病院のベッドに横たわる肩張飛(かたぱると)は「ダイジョブデスヨ」と優しく微笑んだ。だが、その言葉が、表情が、本心であったのか。それは俺にはわからない。その後の肩張飛(かたぱると)の消息は不明だった。自分が所属する部屋以外の力士の情報は、知ろうとしなければそう入ってくるものでもない。
「・・・理由は」
「ん?」
「理由は、なんなんですか。肩張飛(かたぱると)が賞金首になった理由は」
「珍しいな、そんな事を聞くなんて。いつも粛々と任務をこなすお前が」
「気になっただけです。別に、同情するつもりなんてない」
「ふむ。・・・肩張飛(かたぱると)は現在、少人数のアメリカ人コミュニティの統率を取っている。そのコミュニティ内で秘密裏にドラッグ・ソルトを製造しているようだ。それを面白く思わない連中からの依頼だな、今回は」
ドラッグ・ソルト。その名の通り薬物だ。塩を精製する際に幻覚剤を混ぜ込み、製造される。食品として扱われるため、法律上問題のない所謂『脱法ドラッグ』ではあるが、無論、社会的に問題視されている。また、違法ドラッグの流通を生業とする連中からも当然いい顔はされない。つまり針の筵というわけだ。
「・・・そうですか」
「お前が気に病む事じゃない。三角筋が断裂したって、治りさえすれば日常生活には殆ど問題がないんだ。普通に働く事だって出来たはずだ。奴がその道を選んだってだけだ」
「・・・ええ、そうですね。その通りです」
「そろそろ、行くか」
「ええ」
廃マンションとは言っても、その実態は犯罪者の巣窟だ。
各々がそれぞれの縄張りを主張し、好き好きに占領している。
ネオン看板を設置し、『大々的に』闇市を開いている者もいる。
当然規律などなく、住民の中には5部屋分の壁をぶち抜き、ボウリング場を私設し、時間あたりで貸し出し、その収益で暮らしている者もいるほどだ。
そういった無数に存在する無法の部屋の中に、肩張飛(かたぱると)の統率するコミュニティの一室がある。
「ここですね」
「ああ」
「十秒後に突入します」
俺は髷についた鬢付け油を手に擦り付け、肘のブースターの稼働部に塗り付けた。

「動くな!」
ドアを蹴破り、まず初めに感じたのは立ち込める潮の薫りと、熱気だ。
廊下等は無く、玄関を経由してすぐ8畳ほどのリビングという構造のようだ。部屋の中心に2m四方ほどの台が置かれており、その上に塩らしき粉末状の物体が大量に敷き詰められている。その周囲には明らかにアジア系ではない男が3人。
どうやらこの一室でドラッグ・ソルトの製造を行っているらしい。規模が小さく感じるが、少人数のコミュニティであれば糊口を凌ぐには十分なのだろう。規模を大きくしすぎても、却って方々に目を付けられやすくなる。
「What!? Who are you!?!?(だ、誰だお前は!?)」
一番軽率そうな男がナイフを取り出し、俺に差し向けながら訪ねる。その目は炯々としており、今にも俺に切りかかろうとする勢いだ。恐らく、空気中に充満している幻覚剤の効果で、所謂ハイになってしまっているのだろう。
「お前らのリーダーを粛清しに来た。肩張飛(かたぱると)はここに居るか?おっと、変な気は起こすなよ。あまり無駄な殺生はしたくないんだ」
「What? I speak English only.(なに?俺は英語しかわからないんだ)」
「エッ?ああ、えーと、アイム、バウンティハンター。カタパルト、イズ、あの、えーと、エグゼ・・・エグゼキュート?キュ、キューション?ターゲット」
「Damn it!(クソッタレ!)」
男がナイフを振りかぶった。南無三!英語力の低さで人一人の命を奪わざるを得ない状況になるとは、考えもしなかった。こんな事ならメカリョウ・イシカワが宣伝していたニュー・スピード・ラーニングに申し込んでおけばよかった!だが今更遅い。俺がジェットてっぽうを点火した、その時—―。
「Wait!!!」
体育会系、それも武道経験者特有の、丹田から発されるかのような、ある種質量があるように錯覚させられる声量。この声の主は——。
「肩張飛(かたぱると)」
「マロサン、オ久シブリデス」
「いや、マロ・・・。・・・久しぶりだな、肩張飛(かたぱると)」
肩張飛(かたぱると)の声を聞くと、ナイフを持った男は即座にナイフをしまった。目つきもどこか冷静になったように思える。この男の反応からコミュニティ内での肩張飛(かたぱると)の立ち位置が窺えた。
髪型は当然髷ではなかった。カールした地毛の金髪を短く切り揃えている。大牛ほどの体躯は未だ健在だ。肩には機翼が依然として残っていた。だが、酷く錆びている。この塩気と湿気の中で生活の大部分を過ごしているのだから、無理もない。恐らく、他ユニットも同様の状態だろう。サイボーグ化に多大な費用が掛かるのと同様に、元の体に戻すのもまた費用が掛かるのだ。引退後もそのままの体で生きていくサイボーグ化アスリートが殆どだ。
「ドンナ、ゴ用件デスカ」
「・・・俺は今、バウンティ・ハンターをやっている」
微笑を浮かべていた肩張飛(かたぱると)の右瞼が、ピクリと動いた。
「肩張飛(かたぱると)、お前を粛清しにきた」
「ナルホド、ナルホド」
存外、あっけらかんとしている。
「素晴ラシイ。素晴ラシイデス、マロサン」
「なに?」
「マロサンノヤッテイルコトハ、紛レモナイ正義デス。タダ、私ニモ彼ラヲ守ル責務ト——」
肩張飛(かたぱると)が臀部のブースターを点火した。
「『誉レ』ガ、アリマスカラ」
静かにそう言い放つと、肩張飛(かたぱると)は猛然と突進してきた。臀部のブースターの推進力と機翼の空気抵抗の少なさ、足裏のローラーの流滑性を利用した、高速のぶちかまし。加えてあの体躯。普通の人間であったらひとたまりもない。だが、俺のジェットてっぽうなら——。
突進してくる肩張飛(かたぱると)の額にジェットてっぽうを見舞う。しかし、弾き返される。まさか——。
「・・・シリコン」
「エエ、ソウデス」
「なぜ頭にシリコンなんか入れている?お前の身長なら新弟子検査など、それこそ顔パスだっただろう」
「相手ヲ、傷ツケナイ為デス」
「な、なんだと・・・?」
「私ノ体デマトモニ立チ会ッタラ、大怪我ヲサセテシマイマスカラ」
その発言で、俺は確信した。あの日の「ダイジョブデスヨ」は本心だった。そして、この心優しき男が、コミュニティを守る為に、心優しきが故に、犯罪に手を染めざるを得ないこの時代に、この世界に悲憤した。全てを終わらせる事は出来ずとも、今、この場で彼の罪を清算してやる事は出来るはずだ。
「デモネ、マロサン、次ハ逃シマセン」
「ああ、かかってこい」
「ヨイショオ!」
まともに立ち会って勝てる相手ではない。それは俺が一番よく知っている。ジェットてっぽうで機翼を狙い、迎え撃つ。しかし、錐揉み回転で的をずらされ、弾かれてしまう。肩張飛(かたぱると)は室内の家具を破壊しながら縦横無尽に飛び回っている。最早、元の部屋の原型はないと言っていいだろう。その時、俺は床に散らばる白いものを見つけた。塩だ!
俺は塩を掌いっぱいに握りしめると、肩張飛(かたぱると)と相対(あいたい)した。
こちらに対して一直線に向かってくる肩張飛(かたぱると)の顔面に、塩の塊のジェットてっぽうを見舞った。
「No~!!!Eyeガ!Eyeガ~!」
勢いあまって壁に激突した肩張飛(かたぱると)は涙を流しながら俺を睨(ね)めつけると、こう続けた。
「マロサン・・・。アナタハ正義ノ人デハナカッタノデスカ」
「命の遣り取りだ。なりふり構っていられない」
「許サナイ・・・。許サナイゾ!マロビダシ!」
感情が高ぶっているとはいえ、様子がおかしい。恐らく、ドラッグ・ソルトを眼球から直接接種したため、強烈な幻覚が見えているのだ。
「Bad it! Come on! Shit!(ああ、最悪だ!かかって来やがれ!クソ野郎!)」
そう叫ぶと、臀部のブースターを最大出力にしたようだった。だが、激昂した肩張飛(かたぱると)のぶちかましはあまりに直線的だ。
俺は冷静に肩張飛(かたぱると)の錆び付いた機翼を破壊した。
制御を失った肩張飛(かたぱると)は文字通り墜落すると、こちらに向き直り、興奮した様子でやはり俺を睨(ね)めつける。もう言葉はいらない。
俺は肩張飛(かたぱると)の頭部・・・ではなく、鳩尾にジェットてっぽうを打ち込み、気絶させた。

肩張飛(かたぱると)を『然るべき機関』に引き渡し終えると、親方から通話が入った。
「終わったな」
「ええ。先ほど」
「あのな、ちょっと肩張飛(かたぱると)について調べてみたんだが」
「なんですか、珍しい」
親方がこういった事をするのは珍しい。普段は対象について意図的に必要以上の詮索をしないように心掛けているような、そういった気遣いや気概を感じさせる人だ。
「肩張飛(かたぱると)が三角筋を断裂した後、魔羅名栗部屋から見舞金を送ったんだ。治療費と、気持ちも込めて色をつけてな」
「その節は、どうも」
「いや、いい。それが俺の仕事だったんだからな。その後、入金した一週間後にはもう退院したらしい。しかし、手術代というのは病院に払われていないようなんだ。そして、手術をした記録もない。つまり、手術自体をしていない」
「まさか」
「そのまさかだ。自力で治したんだろう。そして、どうやらその当時もコミュニティは存在していた。ただ、その頃は日本に移り住んだアメリカ人の、単なる友人グループのようなものだったようだ。言葉も通じない異国での生活を豊かにするため、見舞金をコミュニティの資金にしたんだろう」
自らの治療を投げ打ってまで、仲間のために資金を確保する。並大抵の事ではない。彼らの仲間意識と自己犠牲の重さには頭が上がらない。
「でもな、さっきも言ったが、お前が気に病む事じゃない。奴が、肩張飛(かたぱると)が自らの意思でやった事なんだ。それを快く思わない連中からの依頼を、俺らが受ける。そうやってこの仕事は成り立っているんだ」
「・・・ええ、そうですね」
「さて、じゃあ、ちゃんこがもう用意してあるから」
「え!またですか。もういいですよ、俺、もう力士じゃないですから」
「今回は比内地鶏を使ってるんだ。その辺のスーパーで買ったやつじゃない。ニュー・アキタのふるさと納税で——」
「また鶏肉ですか。悪しき風潮ですよ、それ」
「何を言うんだ。そもそも鶏肉を使う理由というのはだな、二本足だから手を着かないという縁起を担ぐ意味合いがあって~」
またその話か、と真剣に聞かないようにした。とはいえ、通話自体は切らない。居候の身として、流石に俺にもそのくらいの礼儀作法というものはある。
さて、そろそろ魔羅名栗部屋に帰るとするか。
カメアリ・ステーションに向かう最中(さなか)、数キロ先に見える商業施設型要塞ネオ・アリオは相も変わらず煌々とネオン光を発し、夜空に浮かぶ雲を紫色に染め上げていた。


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