父記録 2023/4/19〜21
4/19
結局は私が決めるんだと思う。
父の人生の終わり方を。
4/20
父転院。大学病院から面会可能な病院へ。
酸素マスクは外れていた。呼吸は前日よりよいが痰絡みは多い。目元が目やにでカピカピになっていた。
意識は前日よりしっかりしていて
「転院するんだよ」と声をかけると「うん」と言った。何か他にも喋ろうとするが、むせこむ。あまり話しかけないほうがいいのかな?と思った。
転院先の病院で面談。
「状態は落ち着いてきてはいますが、やはり栄養と薬は足りていません。週明けには経鼻胃管をするかどうか決めなくてはなりません。ご家族でよく話し合ってください。」
長い長い手続きの後、父の病室に入ると父は眠っていた。SNSで届いた父への応援メッセージを枕元で読み上げた。父はずっと眠っていた。
店に戻ってインスタライブ。応援メッセージへの御礼と報告。
自分のやっていることに意味があるのか、こんなことを配信、発信してるのは果たしてどうなんだろうかとも思う。
しかしお客様からのコメントに、改めて父への想いの濃さ、深さ、歴史を感じて身の引き締まる思いがした。
4/21
朝、父の担当の先生から電話。
「回診時に起きていらしたので『鼻から管を通して栄養を入れるのは嫌ですか?』とお訊きしたところ、『大丈夫〜』と仰いました。」
夕方、母と病室に入ると父は目を覚ました。
肌艶もよく、顔も口も髪もきれいにしてもらってツヤツヤピカピカしていた。なんなら私や母よりツヤツヤしていた。
目つきもしっかりしている。なんなら面会再開してからのここひと月半で一番しっかりしている。きょろきょろと私と母の顔を交互に見た。
「昨日大学病院からここへ来たんだよ。覚えてる?」と訊くと
「覚えてない」と言った。
頂いた応援のメッセージを読み上げる。
今日はしっかり聴いている。懐かしい名前に反応する。聴き取れないが色々喋っている。
「シャケのおにぎりを差し入れした時の喜んだ顔を思い出してます♫」というところでふふっと笑った。父らしい笑いかたが懐かしい。
「待ち受けにするから写真撮って」と母が言って、何枚も撮る。
「お父さん、応援してくれてるみんなにありがとう、って言って。」と言って録画ボタンを押すと父はくっきりと大きな声で「ありがとうー」と言った。
母も私も嬉しくてはしゃいだ。
母が「あたしにもありがとうって言ってよ」と言うと父はモゴモゴと口ごもった。
母が父の口真似をして「お前には言わない…」と言って笑う。
父が小さく優しい声で
「ありがとう」
と言った。
「ねえ、店やってよかったね。色々楽しくね、人間と。人間いっぱい知り合って」
母が父に話しかける。
よかったねお父さん。
よかったねお母さん。
いっぱいの人間がいっぱい応援しているよ。
店やってよかった、と二人が思っていることが私は嬉しいよ。
「お父さん、お医者さんからも訊かれたと思うけど、鼻から管で栄養入れるの、嫌かな?嫌だったらやらないけど、今栄養が足りてないの」
と訊いてみた。
父は「いやじゃ、ない」とはっきり言った。
「よし、じゃあ栄養入れて元気になろうね」
しばし母とベッド越しに談笑した。窓の外は晴れていて、遠くに新宿の高層ビルが見える。テレビの音がうっすらと流れている。
父が急に何かを訴えた。よく聴き取れないが、一生懸命口を動かして何か言っている。
父のマスクを外して耳を近づけると大きな声で「おなか、すいた!」と言った。
「お腹空いたの?そうよねずっと絶食だもんね、空いたわよね」と母が言い、
「そうかお父さんお腹空いたのかー。よかった!でもまだ食べられないんだよ、肺炎がね、まだ良くなってないからね」
食べさせてあげられないのは切ないが、父がこんなにはっきり空腹を訴えたことが嬉しかった。
「なんでも、いいから…!」と父。
「ごめんね、まだ食べられないんだよ…」と私。
「お父さんかわいそうね…食べたいわよね…」と母。
父「カレー」
私「カレーかあ…(特養に)カレー沢山差し入れたね、まだあったね。しかしカレーはちょっとむせそうだねえ」
父「ひや…やっこ」
私「冷奴かあ。冷奴なら良さそうだね。…今はまだ食べられないけど…」
母「コーヒーの匂い嗅ぐ?」
私「嗅いだら飲みたくなっちゃうじゃん!かわいそうだよ!…いやでも嗅ぐだけでも気が紛れるかなあ…どうかなあ」
母「(持参した魔法瓶の口を開けて扇ぎながら)ほらほらー」
父「コーヒー!」
初日の面会は賑やかに終わった。父はツヤピカでよく喋った。
病院の前で母と別れ、仕事場へ向かう。
店にいるスタッフに父が「ありがとう」と言っている動画を送った。
久しぶりに心が弾む。
誰彼構わず肩を掴んで揺すぶりながらお礼を言いたいような気持ちが湧き上がり、少し涙が滲んだ。
店に着くとスタッフが泣いていた。
動画を見て安心して泣いてしまったという。
父の様子を詳しく話すと「もうやめてください、また泣いちゃうから!」と言われた。
誰彼構わずお礼が言いたい。
夜、医者の友人が遠方から駆けつけてくれた。前日から胃管や胃ろうについてLINEで相談していたのだけど「LINEじゃまだるっこしいね。行くわ!」と言って仕事上がりに車を飛ばして来てくれたのだ。
「急いで来たからとりあえずうちにあったものばっかりだけど」
珍しいスコーンやチョコレート、ジャムなどを次々と取り出して説明しながら冷蔵庫にしまってくれた。
別の友人が送ってくれたお菓子や母がくれたお菓子もあって、冷蔵庫がおいしいものでいっぱいになった。
夕食を摂りながら友人の話を聞く。
医者の立場からの意見。友人としての意見。
友人の経験。父に訊くこと、伝えること、考える順番。
気がつくと明け方になっていた。帰宅して、友人の話をメモにまとめてベッドに入った。
御礼しきれないほどの色んなものを、気持ちを、毎日沢山の人からもらっている。
*医師の友人の話メモ。
・お父さんにやりたいことを訊く。
(食べたい、店に行きたい、〜に会いたい、〜を見たいなど)
それをするにはどうしたらよいか。優先順位など
・父が経鼻胃管(鼻チューブ)OKなのなら、胃ろうの方が体に負担も少なく生理的ではある。
全く食べられない訳ではないが、介護や看護する施設側の対応にもよる。
ゼロリスクを目指せば「口からは食べられない」となる。
もう一度お父さんに胃ろうのメリットとデメリットの説明をした方がいいかも。
食べることを少しでもトライしたいのであれば、胃ろうの方が対応はしやすいかも。(胃管だと一度抜かなきゃならない)
施設、病院への確認は必要
・人間は消化器官(胃)を動かすことで体全体の回復力が上がることが分かって来ている。
・CV(高濃度点滴)は色々厄介
・胃ろうにするにしても、先ずは胃管(鼻チューブ)で栄養状態を上げる必要がある
・食べてみる場合:その後に起こり得るリスクとその対応を明確に。
早かれ遅かれ誤嚥性肺炎は起きる。
嚥下力が普通に食べられるところまで回復することはあり得ない。(パーキンソンの症状なので)
例「誤嚥、急変した際の処置は痰吸引まで。
挿管、気管切開、心臓マッサージはしない。肺炎はあると思うから抗生剤や、いよいよって時になったら、苦痛を取る薬は使ってほしい」
・今の状態では医者は口から食べることにトライしてよしとは言えない。
相談するならもう少し調子が上がってから。
・ハーゲンダッツ最強。
(嚥下力が低下している患者さんの為にハーゲンダッツを常備してる施設は多いらしい。おいしくて飲み込みやすく、栄養価もあって最高)
・今の病院の次の移動先。
元の特養か、療養型施設か。
各施設がどこまで対応できるのか。
元の特養ならどこまでこちらがリスクを受け入れるか。
父にはまだ生きる意欲があるように思える。