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ひとよけいこにっき/0

稽古場オフショット_200804_13

稽古日記を書くことにした。

「ひとよ」の稽古が始まって約二週間。
リモートでの顔合わせと本読みではじまり、今は荒い立ち稽古でようやく一周した(台本の頭からお尻までやった)ところ。
日ごと変わる状況の中で、演劇とCovid-19対策を模索している日々。

3月の『往転』以来、4ヶ月ぶりの現場。
コロナ禍において、初めての公演になる。
この前後の舞台は、すべて延期になってしまった・・・。

祈りながら眠り、願いながら目覚め、稽古に向かう。
稽古のたびに数々の迷いが訪れる。その都度、受けとめ、振り切り、諦め、こだわり。初めての環境で、初めての感情に毎日立ち会いながら、ものづくりをしているけれど。
正直なところ、まだ慣れない。
慣れないままやっていくような気もする。
それで、ふと、この慣れない日々を記録しておこうと思い、稽古日記を書くことにした。

この日記は「ひとよ」の特設ページの企画でもなんでもない。
というか、誰にも、ちーっとも頼まれてないのです。
このNOTEは緊急事態宣言中、劇団がステイホームしながらでもできる企画「おウチでKAKUTA」というNOTEを立ち上げたときに、仕様を理解するために作ったテストページで、なのでしょうもない写真とかつぶやきが雑に載っているのもそのためで。
この日記は、私が私のために、いきなり勝手に始めたものです。読んでもらうことを前提にして書かないつもりなので、粗雑な文章になるだろうし、面白みもない日記になることと思う。

ただ、コロナ禍で稽古をしているKAKUTAがどんな風に稽古をしていたかを書いておくことでことで、次々と訪れる葛藤や、そこに向かう私たちなりの対応を記録しておくことで、もしかすれば今後、同じように演劇を作る人たちのなにがしかの参考になる部分も、わずかだろうが、あるかもしれない。
なにせ私自身が今、他の現場がどのように稽古をしているのか知りたくて仕方ないからだ。いい例になるか、ダメな例になるかはまだ先のことなのでわからないけれど、症例はいくつあってもいいものだし。

手前みそであるけれど、前もっていうと、私たちはかなり厳密なガイドラインを作って稽古をしている方だと思う。
舞台監督と制作陣を中心にスタッフ&劇団員が連日話し合いを重ね、稽古場の導線から殺菌消毒の手順、禁止事項、劇中にある「密」な演出の検証まで、事細かにルールを設定し、日々更新している。
詳しくは日記に書いていくけれど、神経質なほどの徹底ぶりに「やりすぎじゃないかしら」と音を上げそうにもなる。が、「いずれは無駄だったと思うようなことも、今はやってます」と舞台監督も言うとおり、どう間引いていいかわからないから、出来ることは全部やるというのが今(2020/8/3)。
ここからどう変わっていくのかはまだわからない。

けど、これでも「絶対に大丈夫」ということじゃないんだろう。それほど対策しても、コロナに罹患することはあるのかもしれない。
だって私たちはそれぞれに生活があり、その生活を携えて稽古場に来ているのだから。劇団員に、この公演のためだけに時間を空け、他の外出もアルバイトも一切するなとは言えない。私だってそんなのは無理だ。仮にそれをすべて守ったところで、稽古に「行く」時点で電車にも乗れば、町にも出る。
ゼロリスクで演劇をやることは…というか、日常を送ること自体は不可能なのだから。

だからこの日記を書くもうひとつの理由は、仮に、万が一この先、座組の誰かがCovid-19に感染することがあったとしても、誰にも否がないということ、私たちは精一杯やっていると言うことを、私たちが私たちで忘れないようにしておきたいからだのだと思う。

否がない、なんてそもそも当たり前のことだ。(そりゃ例えば自分が罹患しているとわかりながら意識的に町へ出歩きうつして回ったりするなら別だろけど)罹患した人は被害者だ。悪いのは罹った人ではなくCovid-19だ。

だけどそのごく当たり前なことを、ともすると見失いそうになる。
それは今の社会が自己責任という風潮に流れ、まるで罹患した人が悪いかのような空気を作ってしまっているからで、何か否があったんじゃないか?と「問題行動」を探して責めるからで、罹った人自身も自分を責めてしまう。
だからそんな責めを負いたくない、誰にも負わせたくないと思うと、己が、己のしていることが不要不急なものに思え、「誰にも迷惑をかけないようにするなら、演劇をしないほうがいいのかな」などと考えてしまったりする。
その弱気にこそ打ち勝ちたい。
だからこの日記を書くことで、演劇も、コロナ対策も全力でやってんぞと折に触れ思いかえし、力にしていきたいと思った。

誰かにとっては不要不急な演劇という文化が、私にとっては生きるよすがなのだから。
そして私は今、間違いなく、このコロナ禍において、演劇に、劇団の存在に、救われていると思うからだ。


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