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けいこにっき/5

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8月6日(木) けいこばおひっこし

新しい稽古場に引っ越した。前の稽古場の方が「らぶゆ」や「猫は知る」でも使っていたので慣れ親しんでいるのだけど、みんなの家から近場になったのでこれはこれで便利らしい。ちなみに私はいなかっぺなのでどこでもあまり、変わらない。
車通勤なので、首都高を経由しなくなっただけいいかなあ。

そうそう、コロナ対策のひとつという点でいうと、電車をやめて自転車通勤をしているメンバーも多い。混雑した電車を避けられる利点はあるものの、酷暑の中で稽古場に向かうので今度は熱中症が心配。
稽古場入りしておなじみの検温をする際、それぞれが記入している一覧表を見るとほとんどのメンバーが36度5分以上だ。37度台の人もいる。
「37.2 歩いたので火照ってる」などとコメントが添えてあったりする。

これ、「37.5以上は稽古をお休みしてください」とか、本番でもお客様に向けて「劇場にお入りいただけません」っていうガイドラインがあるかと思うのだけど、非常に繊細なラインだなあ・・・と考えてしまう。
だって、暑い最中に汗だくで慌てて劇場に入ったら、たまたま37度台を超しちゃう人もたくさんいるでしょう。
そこは紋切り型にせず、様子を伺って対応できたらいいのだけど…!

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新稽古場には新ルール。喫煙できる場所まで行くのに休憩のたびにえらく歩かなくてはいけない。「外の空気が吸える」と取るか「暑さで体力を奪われる」ととるか。

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近所のにゃんこもあちそうだ・・・!夏を乗り切って頑張って!!

それから、新稽古場で新たに導入されたのがこちら。

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演出机の前に透明なアクリルシールド!
今度の稽古場は奥行きが前の稽古場よりも狭いので、舞台面ギリギリに演出の机がある。
ツラ側で演者が大声出したら、普通に考えると飛沫も浴び放題。
演出席ではもちろんマスク着用しているが、目とか顔とかにも飛沫が音で来ないように・・・ってことで、こんな配慮をしてくださっていた。

完全防備のありがたさ・・・!
しかしどことなく、刑務所の面会室みたい。

8月8日(土) 「マスク」から「シールド」へ

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マスクの稽古に大分慣れてきたところではあるが、KAKUTAのような会話劇ではマスクだと表情がまったくわからないので限界がある。
というか、マスクだけだと「伝わってないんじゃないか?」と不安になってやたら大げさな表情を作ってしまったりもする。

というわけで、ついにやってきた。
「マスク」から「フェイスシールド(フル)」に移行する日が・・・!

「不安な人は無理しなくていい」とあらかじめ決めた上で、シールドを装着してみる。
慣れとは恐ろしい。顔を隠してるのが当たり前になっていただけにマスクを外すとまるで恥部を晒しているような気分。
うれし恥ずかし、やけにみんなしてモジモジしてしまった。

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フル装備は必要ないけれど、演出部はダブルでつけていたりもする。
あちこち密に動き回らねばならぬし、つけ外している暇があまりない。

シールド移行にあたっての演出部の除菌対策もめちゃくちゃ細かい。
たとえば、休憩できる待機場は全員マスク、消毒は通常通り。
そして舞台上のみシールド、消毒をより強く、入念に。
ここまで考えてもらうと、ええ、つけ外し面倒くさい・・・なんて言えません。

「フェイスシールド(フル)」は、顔をすっぽり覆うシールドのことで、当面これでいきつつ、最終的には口元を覆うだけの「フェイスシールド(ハーフ)」にしていきたいと考えている。

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めがねのようにかけるタイプもある。頭でかぶるタイプは締め付けがきつくなるので、私はめがねタイプの方が好き。

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夜、若手メンの森崎健康と、わけあって朝方5時まで話す。
私がお説教たれたことから長電話に発展したかたちだった。

健康は、「集団が苦手なんです」という。
そんなん私だって苦手だよ。と私も返す。
多分ふたりともすごいめんどくさい性格で、どっちかがヘエヘエと聞いていたらこんなに長電話もしないだろうに、お互い引くとこ引かずグチャグチャとこねくるからいけない。

集団が得意な人が劇団員になれるのだろうか。
それなら、かつてなにひとつバイトが続いたこともなければ、学校もサボりまくっていた私は落伍者で、とっくに劇団など辞めていた。
集団に馴染むことが苦手だから、主宰になったのかもしれない。

でも、「なじめる」のが良い劇団員じゃないと私は思うし、私にとって劇団員は「集団」ではない。
どの役者も自立した個であり、私とあなたは常に一対一で、なんだかんだ恋愛関係に似たようなものだと思ったりする。

だからお互いに惚れさせ合わなくちゃいけない。
違う意見をすりあわせて理解し合う、あるいは理解し合えないまま互いを尊重していく。
ただ恋人と違うのは、お互いに何人好きな人がいたっていいってこと。
他に好きな人が出来てもここにいていい。
その上で、やっぱり君が好き、あなたが好き、ここにいる自分が好き、そんな風に思って一緒にやって行けたら良い。あるいは、「ここにいるといいことがある」と野心的に利用してくれたってかまわない。
そして、好きじゃなくなったら別れた方が良い。

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だから、愛し愛されてここにいるなら向き不向きなど関係ないのだけども、劇団員でいる以上やること考えることがいっぱいあるので、「集団」というしがらみがついて回るのだろうなあ、などと考えたりした。

好きとか愛とか、甘っちょろい集団論みたいに思うでしょ。
もちろん、もっと細分化したら別の言い方になる。ただ、健康と朝の5時までかけたグチャグチャめんどくさいやりとりは、たとえば新宿駅の隅っことかで終電が過ぎても「あたしのこと好き?」「好きって何でわかんねえんだよ」などと喧嘩してたりする男女のそれに似てるなあ、と思ったのだった。

8月9日(日) さるすべり。

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8月に入り、ここ数日の稽古場には渡辺えりさんがいない。
えりさんは「女々しき力~序章」の作品、「さるすべり」に出演中だ。

さるすべり。素晴らしい作品だった。
出演者はえりさんと木野花さん、そしてオリエンタルな様相の、ふたりの楽士。オープニングはまず、素晴らしい弦楽奏からはじまる。
序盤はふたりの軽妙なやりとりでとにかく笑わせる。時折、不意に姉妹から「えり」「木野さん」の関係になって、「あんた『8月の鯨』をやるって言ったじゃない!だから出たのに、何で違う芝居なのよ!」などともめ、メタ的な構造でまた笑わせる。
たしかにそのとおり「8月の鯨」のような風情の姉妹なのだけど、話している内容はNetflixやこんまりの断捨離など、現代の話題でいっぱい。
ああ、「今」の話なんだと思うけど、徐々にふたりは段ボール箱にしまい込んでいた数々の思い出を引っ張り出していく。

漫画家になりたかった夢。
ノート一面を埋め尽くした幻の恋。
女として人間として闘っていた自分。
働いて働いて、やがて闘うことをやめた自分。
子どもの頃から愛していたのに姉妹で切り落としたさるすべりの樹。
そして、愛する者の死と、その理由…。

数えきれない後悔と、抱えきれない喪失を箱に詰めて、心の奥底に蓋をして、忘れたように生きるふたり。
やがて彼女たちが自粛していたのはコロナのためだったと気づくのだけど。ほんとうはもっとずっと前から、「生」を「自粛」していたのかもしれないと気づいて、胸が苦しくなった。
姉の慟哭。妹の歌に漂う悲しみ。
弦楽器がキリリと痛みを持っておなかの奥に響いてきた。

やがて、待ち続けている客は誰も来ないのだとわかり、ふたりは自ら自粛を解き、部屋を出て、生と死が溶け合う透明な空気のなかを散歩する。
「死んで生きて、また生きる」と笑い合うふたりに、幸あれと願わずにはいられなかった。

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